町村制の施行と町村合併

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明治二一年(一八八八)四月、市制・町村制が公布され、二二年四月一日から府県知事の具申を受けて施行されることになった。町村制は、「町村ハ従来ノ区域ヲ存シテ之ヲ変更セス」としていたが、市制・町村制公布に際して「参照」として付せられた「市制町村制理由」(『法令全書』)は、「然(しか)レトモ町村ノ力貧弱ニシテ其負担ニ堪ヘス、自ラ独立シテ其本分ヲ尽スコト能ハサルモノアリ、是其町村自己ノ不利タルノミナラス国ノ公益ニ非(あら)サルナリ、是ヲ以テ有力ノ町村ヲ造成シ維持スルハ国ノ利害ニ関スル所ニシテ町村ノ廃置分合若(もし)クハ区域ノ変更等ニ付キ国ノ干渉ヲ要スルコト明ナリ」と国益のためには、町村規模の適正化を図る必要があると主張している。近世以来の村は規模が大小さまざまで、なかには自治体として、また行政区画としての機能を発揮できないような小規模なものもあった。表23にみられるように、本市域でも、旧新堂村のように、町村制施行当初の地価一一万一〇七八円余、人口二六六五人という大村もあれば、旧横山村のように地価四一四一円余、人口六七人という小村までさまざまな村があった。そこで、二一年六月一三日、政府は、内務大臣訓令をもって次のような町村合併の基準を示した(亀卦川浩『明治地方制度成立史』)。

表23 町村制施行当初の村勢
村名 字名 宅地 宅地率 その他
富田林
富田林 42.05 908.05 93.6 20.03
毛人谷 4,486.17 915.26 161.25 2.7 371.24
合計 4,486.17 958.01 1,070.00 15.5 391.27
新堂 新堂 13,630.18 654.28 929.02 3.8 9,318.22
中野 5,623.21 136.02 402.24 5.2 1,616.08
合計 19,254.09 791.00 1,331.26 4.1 10,935.00
喜志 喜志 16,366.02 993.06 1,178.25 5.2 4,211.26
大伴 南大伴 2,037.06 314.25 126.03 4.2 494.04
板持 2,785.29 202.20 177.11 4.0 1,250.18
山中田 3,157.29 73.14 200.00 5.1 524.06
別井 3,412.18 184.27 257.25 6.2 309.28
北大伴 3,812.07 323.24 242.16 5.5 24.23
合計 15,205.29 1,099.20 1,003.25 5.0 2,603.19
東条 龍泉 2,587.24 766.26 302.10 6.0 1,387.11
甘南備 6,990.09 936.05 358.03 2.3 7,093.03
佐備 10,277.16 826.18 579.09 3.8 3,378.11
合計 19,855.19 2,529.19 1,239.22 3.5 11,858.25
廿山 新家 1,975.21 71.00 74.13 3.4 43.08
甲田 6,853.00 348.06 372.16 4.5 638.13
廿山 9,556.01 1,470.10 559.06 2.1 14,968.03
加太 2,316.13 1,796.25 83.04 1.9 199.13
合計 20,701.05 3,686.11 1,089.09 2.6 15,849.07
錦郡 錦郡 11,915.07 456.17 767.11 5.3 1,467.08
錦郡新田 2,730.17 359.03 192.04 5.3 369.12
伏山 2,511.06 221.26 211.07 5.8 718.13
合計 17,157.00 1,037.16 1,170.22 5.3 2,555.03
彼方 彼方 6,556.05 282.13 349.18 3.1 4,127.21
板持 7,773.03 393.25 350.13 4.1 26.26
横山 484.03 82.02 66.10 7.0 317.09
伏見堂 2,752.19 486.15 158.03 1.8 5,511.24
1,688.29 359.20 127.28 3.7 1,279.01
合計 19,254.29 1,604.15 1,052.12 3.2 11,262.21

地価 戸数 人口 1町当人口 備考
970.13 10,312.218 517 2,516 2.6
5,936.02 34,989.014 48 345 0.1
6,906.15 45,301.232 565 2,861 0.4
24,533.10 111,078.016 450 2,665 0.1
7,778.25 42,570.321 81 577 0.1
32,312.05 153,648.337 531 3,242 0.1
22,749.29 123,148.622 342 2,114 0.1 18年、新家村を合併
2,972.08 14,845.433 55 304 0.1
4,416.18 16,116.222 66 407 0.1
3,955.19 20,529.806 80 438 0.1
4,165.08 24,464.960 77 543 0.1
4,403.10 28,355.677 80 533 0.1
19,913.03 104,312.098 358 2,225 0.1
5,044.11 18,467.309 79 494 0.1
15,377.20 42,960.969 110 623 0.0
15,061.24 62,757.638 128 810 0.1
35,483.25 124,185.916 317 1,927 0.1
2,164.12 13,455.832 24 139 0.1
8,212.05 52,994.021 109 654 0.1
26,553.20 60,192.739 146 846 0.0 32年、廿山村を川西村と改称
4,395.25 17,028.183 21 117 0.0
41,326.02 143,670.775 300 1,756 0.0
14,606.13 94,155.530 190 1,103 0.1
3,651.06 15,415.974 41 230 0.1 44年、須賀と改称
3,662.22 15,337.830 44 268 0.1
21,920.11 124,909.334 275 1,601 0.1
11,315.27 48,234.043 99 541 0.0
8,544.07 60,719.214 104 676 0.1
949.24 4,141.188 12 67 0.1
8,909.01 21,066.322 43 260 0.0
3,455.18 13,901.637 32 188 0.1
33,174.17 148,062.404 290 1,732 0.1

注)新堂平井家文書『明治廿四年大阪府石川・錦部・八上・古市・安宿部・丹南・志紀郡役所統計書』より作成。

(1)区域が広くて人口が多く、相当の資力があって独立自治の目的を達することができると認められる町村は、分合しない。

(2)独立自治の目的を達することが困難であると認められる町村は、合併する必要がある。

(3)合併の規模は、面積・資力を考慮し、三〇〇戸ないし五〇〇戸を標準とする。その際、町村の意向を斟酌(しんしゃく)して、民情に背かないように配慮する必要がある。また、現在の戸長管区が地形・民情に照らして支障がなければ、その区域の町村を合併しても良い。

(4)合併にあたっては、将来の利害得失に注意し、郡区長や町村吏員などの意見を聴き、できるだけ民情を察する必要がある。

 町村制が公布されると、大阪府は各郡長に、分合すべき理由、反別、人口、戸数、租税、町村費、共有財産、負債など、町村合併に関する調査を命じた。一〇月初めには枚方(ひらかた)郡役所を除き報告がほぼ出そろったが、独立すべき町村は一〇分の一くらいで、大抵は合併の必要があるとされた(『大阪朝日新聞』明治21・10・5)。庶務課員がただちに分合の理由などを再調査し、一一月一二日に郡長を召集して諮問会を開いて、内務大臣に具申することにした(同11・13、14)。さらに二二年一月二三日、府庁内に市町村制実施取調委員を設置し、内務省からの問合せに対応するとともに、四月一日実施を期して事務の検討を開始した(同22・1・24)。二二年二月一八日、在京中の知事に認可が伝えられ(同2・20)、同月二〇日、知事は、市制・町村制の施行を布告するとともに、「町村区域名称等別冊の通相定め本年四月一日より施行す、但旧村名は大字として之を存す」(『大阪府全志』一)と布達した。こうして大阪府の町村制は、二二年四月一日から施行されることになった。