選挙干渉

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明治二五年(一八九二)一月二五日、丹南郡黒山村大字北余部(あまべ)(現美原町)西迎寺で民党政談演説会が開催された。聴衆は会場外にも溢れ、東尾が演壇に上がろうとすると、門外の傍聴者が入場しようとして門扉を押し開けて乱入し、会場は大混乱に陥り、警察官が解散を命じた。乱入した者の中には結髪した者が多かったという(『大阪朝日新聞』明治25・1・26欄外記事)。一月三〇日、東尾派は、丹北郡天美村大字池内(現松原市)の嶋田甚平宅で政談演説会を開催した。入場者をあらかじめ傍聴券を配布してあった選挙有権者に限り、門前には堅固な柵を設けて一人ずつ入場させた。聴衆が詰めかけたので門扉を閉ざして貫木(かんぬき)を掛けたが、東尾が演説を始めると数十人の暴漢が抜刀した者を先頭に襲いかかり、大槌で柵や門扉を破壊して会場に乱入し、器物・戸障子・石灯籠などを破壊した。そのため、聴衆の一人が重傷を負い、数人が軽傷を負った(同2・1)。『大阪自由新聞』号外によれば、聴衆が狼狽する中、警備の警察官十数人は、二、三人が抜剣しただけで暴徒を捕獲せず、制止しようともしなかったという。この事件の前日、第六選挙区の河内郡枚岡南(ひらおかみなみ)村大字四条(現東大阪市)でも同様の事件が起こったので、自由党の菊池侃二(きくちかんじ)・山下重威(やましたしげい)・日野国明・吉本松吉の四人が、山下大阪府警部長を訪れ、警備の不備と警察の選挙干渉に抗議すると、警部長は再発防止を約束した。ところが、翌日、菊池・日野・吉本の三人は、この事件に遭遇したのである。四人は、山下警部長を再訪し責任を追及した。部長は遺憾の意を表したものの、乱入を阻止せず、凶行者を捕縛しなかったのは弁士や傍聴者の保護に努めたからであるとして、責任を認めなかった(『大阪自由新聞』明治25・2・3)(松原市嶋田家文書)。

写真48 天美村の事件を伝える記事 (『大阪朝日新聞』明治25年2月1日)

 菊池・吉本らは、大阪控訴院の野村検事長と岩重検事正を訪問し、検事を派遣して、なるべく警察の手を用いず検証捜査したいとの回答を得た(同)。二月二日、府会郡部会でも警官・郡吏による選挙干渉、民党の集会に保護を加えないことについて談判することを決めている(同)。二月一日、更池警察署に検事・判事が出張して捜査・取調べを開始し、凶行者を逮捕して政社法違反・器物破毀・殴打創傷の容疑で起訴した(『大阪朝日新聞』明治25・2・3)。逮捕されたのは、角力の四股名(しこな)を持つ近村の住人で、いずれも更池村(現松原市)の公平会に所属していた(『大阪朝日新聞』同、国立国会図書館憲政資料室所蔵「立憲自由党壮士調」)。黒山村の事件でも、乱入者には結髪した者が多かったと報じられたのは、そのためであった。公平会は、大阪の著名な侠客小林佐兵衛が組織したものである(原田敬一「侠客の社会史―小林佐兵衛と大阪の近代―」佐々木克編『それぞれの明治維新』所収)。

 この事件は出水の評判を落とし、東尾に有利に働いたが、出水は、次第に勢力を盛り返し、東尾に迫ることになった(『大阪朝日新聞』明治25・2・13)。二月七日の「日新誌」は「東尾ノ勢力強ク見ユル、乍去(さりながら)政府より警察署向内達も有之由ニ而一入(ひとしお)ノ尽力有と風評」と記し、翌日には出水の選挙運動事務所の支部を新宅の座敷に置いて石川・錦部郡の運動を押し進めることになる。結果は、東尾が一六八七票で当選し、出水が九二八票で次点になった。勝山は一二三票で遠く及ばなかった。

 出水のために尽力した杉本の心境は、彼の日誌「日新誌」によれば複雑に揺れ動いている。第一回総選挙で東尾に投票した杉本は、明治二五年一月一七日、出水への協力を依頼された時も消極的であった。「日新誌」にはこう記されている。

十一時頃出水弥太郎子衆議員(院)ニ顔出スルトテ、平尾村清水福三郎ト申人来、中野村ノ有権者ニ出水ヘ投票シテ呉と頼来、過日直々中野村ヘ被参候処一向人気不寄故拙家ヘ頼テ中野村ヘ勧メ呉度頼来ル、可否如何心配スル

 翌日、清水から返答を求められても、「未行故其段申」という状況であり、説得されてようやく動き始める。二二日になっても「出水氏ハ庁より御出シ吏党トカ政府トカ云小前ノ評不宜と、若(もし)モ今般ハツレタレハ大ニ面目モ有〔間〕敷、気毒事、最初より断ヲ出さらんカ宜敷考ル」と出水に同情しながらも出馬に疑問を呈している。次第に出水の運動に傾倒していき、選挙前日、力を入れた中野村が「多田氏ハ過日東尾事務所桐徳被招一村引請投票スルノ調印致候故不動云」という状況にあることを知らされて、「何共不分明ナレ共、先出水ハ札嵩(かさ)ムト惣(想)像スト思て必勝ヲ祈る○又勝山孝三子モ出水(東尾の誤りか)ヘ譲ルト、アヽ御計不宜、若哉定過半東尾ノ札ニナランカ出水子危シ」(明治25・2・14)と、危機感を募らせている。選挙当日の心境は次のようである(同25・2・15)。

午後嘉田来、シモタ/\エライ事、大体当村ハ東尾ニ成タ、桐徳ニ而東尾方踊テ居ルト、予ハ其筈ニ思ふ、無拠(よんどころなく)出水子ヘ附合トモ東尾ハ多年之議員ナリ、去レ共密々の私事ヲスル故、若哉(もしや)反対者も有カと思へとも、愚民ハ一図ニ地価修正ニ泥ス故ナリ

 開票も終わった一八日になると、杉本は選挙の結果に安堵しているが、これが、杉本の偽らぬ心情であったと思われる。

能々考レハ東尾執心恐し、出水氏二番札ハ当郡僥倖(ぎようこう)ナリ、若出水ニ当撰なりセハ如何成(いかなる)珍事出来セン、本日聞ハ聞程東尾氏の熱心各村有権者ノ噺(はなし)、アヽ恐ロシ、先ハ出水氏次点ハ呉々も当郡ノ僥倖ナリ、乍併(しかしながら)国会開設已来如何成行歟(か)