勝山は、明治二三年(一八九〇)七月、東京から次兄勝山彦治と姉婿新居可也にあてた書簡に「東尾平太郎氏ノ当撰ハ誠ニ宜敷事ニ候」(南大伴勝山家文書)と記しているが、第二回総選挙では東尾と争うことになった。二五年一月一三日、勝山は札幌から南大伴村に転居し、一五日に北大伴村の祖父勝山彦三郎の養子になっている。帰村に先だって、一月一一日、勝山は、「摂河泉諸人士ニ告ク」(国立国会図書館所蔵)という小冊子を配布して国益の促進と団結を説き、帝国議会の現状について次のように批判し、中立の立場を宣言した。
去歳我国始メテ帝国議会ノ召集アリ、三百ノ代議士悉(ことごと)ク都下ニ来集シテ其言責ヲ尽スニ当テヤ、亦タ此ノ蠹賊(とぞく)ノ其中ニ跋扈(ばつこ)スルアリ、偏党シテ天下ノ公益ヲ顧ミサルモノ、貪慾ニシテ自己ノ私利ニ汲々(きゆうきゆう)タルモノ、変節シテ丈夫ノ名ヲ汚シタルモノ滔々(とうとう)トシテ輩出シ、天下其事ヲ聞ケリ、天下其人ヲ識(し)レリ、是ヲ以テ功績挙ラス公益起ラス、囂々(ごうごう)タル蛙鳴ノ間空シク九旬ヲ経過セシニ過キス、天下失望シ衆庶落胆セリ、然(しか)リト雖(いえ)トモ、此レ草創開始ノ際、其レ或ハ恕ス可キナキニ非(あら)ス、己(已)ニシテ第二期ノ開会アルヤ、天下属眸刮眼(しよくぼうかつがん)シテ其功績ヲ望ム愈切(いよいよせつ)ナルニ、豈(あ)ニ料(はか)ランヤ、講堂ハ其新ヲ致セトモ議員ハ其旧ニ依リ、年数一ヲ加フレトモ手練半ヲ加ヘス、天下ヲ度外ニ置キ衆民ヲ胡越視シ、唯私党ノ経営ニノミ是レ汲々トシテ其本分ヲ忘レ、所謂自由党ハ自由党ノ自由党ニシテ天下ノ自由党ニ非(あらざ)ルナリ、所謂改進党・保守党ハ各其自党ノ改進党・保守党ニシテ天下ノ改進党・保守党ニ非ルナリ、孝三、天下ノ志士ト共ニ憂慮措(お)ク能ハサルノ際、霹靂一声忽(へきれきいつせいたちま)チ台閣ヨリ下リ三百ノ代議士尽(ことごと)ク烏有(うゆう)ニ帰シ、吾人ヲシテ大ニ一驚ヲ喫セシメタリ、政府ガ此ノ英断ヲ施セル素(もと)ヨリ専横ノ誹(そし)りナキニ非スト雖トモ、議員ガ此ノ不幸ニ遭遇スル亦自ラ招クノ禍(わざわい)ト云フ可キノミ
勝山の主張は、人々の関心を呼んだようであるが、政府と民党の対立の激化のはざまに隠れ惨敗することになった(本章第三節参照)。その直後、勝山は興楠会を起こそうとしたが成功せず、四、五月ごろ故郷を去り、再び北海道に活路を見出そうとしたようである。二五年七月二八日、勝山は、農商務省商工局長斎藤修一郎から「今般北海道商工業調査ノ義及御委嘱候条別紙項目ノ通調査ノ上御報告有之度候」と北海道の商工業調査を依頼されている(南大伴勝山家文書)。勝山は、大阪府知事山田信道(やまだのぶみち)に燐寸軸木(マッチじくぎ)・石油箱・茶箱の需用について問合せをしたようで、山田は、二六年七月二八日、止宿先の札幌北七条京花楼あてに返書を送っている(同)。日清戦争が始まると、『日清談判最後之勝利』『東洋ニ於ケル主権者』(国立国会図書館所蔵)を著して国権を主張するが、戦後は、『航路開通 千島策』『拓植急務 北海策』『釧勝策』(同)を著して北海道・千島の拓殖を主張している。二七年、勝山は「今般、不肖等北海道殖民拓地ノ大事業ヲ天下ニ唱導シ、併セテ北海ノ実況ヲ報導センガ為メ其ノ機関トシテ北海朝日新聞ヲ発行セントスルニ際シ、其挙ヲ賛助セラレタル諸君ノ記名ヲ求ム」(羽曳野市新居家文書)として募金を行っている。応募者は、主として北海道協会の会員であったが、彼自身、明治三〇年の北海道協会の名簿に東京在住の通常会員として名を連ね、同年二月二八日の総会で発言し、『北海策』『釧勝策』で述べたことを報告している(『北海道協会報告』一一)。「北海朝日新聞」が実際に発刊されたかどうかは不明であるが、勝山は、三五年三月に釧路で『新蝦夷ッ子』(新堂平井家文書)という雑誌を創刊している。
同年四月発行の第二号に「議員選挙者に告く」と題する論説を掲げている。巻頭に勝山の写真が掲げられており、第七回総選挙出馬を意図したものといえる。
此度改めて、普通撰挙の自由権を創初(そうしよ)せり、是れ我国民の空前絶後の大幸福にして、亦大名誉なり、故に各撰挙民たるものは、真個に天賦の権利自由を以つて、自個の信する代議士 <ママ>撰出せさる可らず、此際決して政党の為めに、私党の為めに、又は人情や情実の為めに、此の天与の自由利益を、抛棄(ほうき)すへきに非(あ)らさる也(後略)ママ>
同年八月一〇日に実施された第七回総選挙は、衆議院議員選挙法の改正によって選挙資格が拡大され、大選挙区制が採用されて従来の選挙と状況が大きく変化した。勝山は急きょ帰郷して出馬し、政党の雑兵となり、私利私欲に走る代議士を批判して、誠実に国家を憂う国士を選ぶべきであると主張し、「今や真個の自由投票なり、決して天地に恥つるなき投票をなせよ」と訴えた。しかし、善戦はしたものの、地元南河内郡の票を東尾に奪われ落選した(本章第三節参照)。