楠公顕彰

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第二回総選挙で惨敗した勝山は、明治二五年(一八九二)四月に興楠会を設立している。その趣旨は「皇室ノ尊栄ヲ保チ、帝国臣民ノ幸福ヲ増進シ、権利ヲ拡張スルモノ」「政党以外ニ立」つものであり(南大伴勝山家文書「興楠会設立主意書」)、大阪府下人士の団結による国家の振興を主張するものであった。「興楠会設立ノ主意」は次のように述べている。

方今天下多端ニシテ世事日ニ非ナリ、内衰替憐ム可キノ国力ヲ以テ外暴慾恐ル可キノ外邦ニ交ハリ、上ニ藩閥政府ノ横(タ脱カ)ハルアリ、下ニ藩閥政党ノ肆(ほしいま)マナルアリ、徒(いたず)ラニ紛争喧鬧(けんどう)ヲ事トシテ国家蒼生ヲ度外ニスルノ際、余輩楠公ヲ慕フヤ益(ますま)ス切ナリ、楠公ノ在リシ時ヤ我摂河泉ノ諸国ハ天下ノ仰テ以テ泰斗ト成セシ所ニ非スヤ、楠公ノ去ルヤ天下復タ摂河泉アルヲ知ルモノナシ、嗚呼我カ三国ハ楠公ト共ニ死セルカ同シ(中略)、我カ三国ノ士天資英敏ニシテ才略ニ富ミ、文明有為ノ士タルノ本質ヲ具有スルコト決シテ他国ノ企テ及フ所ニアラス、然リ而シテ其大ニ羽翼ヲ天下ニ伸フル能ハサルモノ一致団結ノ性ヲ欠クヲ以テナリ

 具体的な内容として、「興楠会規則大要」は五項目を挙げ、集会・演説・新聞雑誌の発行によって推進しようとした(同)。興楠会の設立演説会は、四月一〇日午後三時から開かれたが、「聴衆割ニ少シ、午後五時仕舞」(富田林杉本家文書「日新誌」)という状況であった。まもなく勝山は故郷を去るが、「楠洲」と号するようになり、三五年、第七回総選挙に敗れてからも、しばらく故郷にとどまり、三六年一月、「法憲会」を設立している(南大伴勝山家文書 勝山孝三『忠君愛民 国体籏解釈』)。設立の趣意は、「我国歴史上に超絶せる勤王の霊山たる金剛山を再興して世に勤王の霊地たるを知らしめ」「勤王家楠氏一族等の霊を弔慰し以て忠君愛国の志気を鼓舞」することであったが、その目的とするところは金剛山の観光開発で、「法憲会目的方法要領」(前掲書所収)に次のような一項があり、山上に公園や登山者の休養宿泊所、宝物書画・寄贈品を陳列する陳列館の開設を計画している。

  金剛山の位置、頗る登山便利にして且つ風景佳絶なる、実に近畿地方に卓越し、内外人士の観光に、学生の遠足、兵士の行軍に、将(は)た避暑に遊学所に至極適切なるを以て、大いに登山を奨励し、之が便宜を計つて尚武の気を増進せしめ、体育を養成せしむ

写真60 金剛山開発用地略図 (勝山家文書『忠君愛民 国体籏解釈』)

 やがて法憲会は東京に移り、楠公関係の絵はがきや冊子を発行し(巻頭カラー口絵参照)、三八年七月には内大臣田中光顕(たなかみつあき)に天皇・皇后・皇太子などへの献納願を提出している(南大伴勝山家文書)。その後の動向は不明であるが、勝山は、三九年七月六日、故郷に錦を飾る夢を果たすことなく、神奈川県小田原町(現小田原市)で没している。その民権思想を明らかにする史料は遺されていないが、勝山は、地域の利害だけにこだわらず、国権と自由を主張し続けた、大阪では稀有なる民権家であったといえる。

 なお、勝山の著作・刊行物で所在が明らかなものは、表52のとおりである。

表52 勝山孝三編著書一覧
発行年月 書名 発行元 備考
明治19年10月 商工必読 支那貿易道しるべ 出版人 勝山孝三 表紙に「東洋散士著 喜望館蔵版」
  22年12月 貿易起業 日清関係 発行者 富源社 発行者 井上清三郎
  24年2月 北海道殖民策 日本開富 発行所 大日本殖民会 表紙に「明治二十四年一月」
発行者 熊本平民桑原玉彦
  24年3月 殖民政略 日本回天 発行所 有隣堂
  25年2月 摂河泉諸士に告ぐ 小冊子
  25年 興楠会設立主意書 小冊子
  27年12月 日清談判 最後之勝利 発行所 松邑三松堂 表紙に「勝山楠洲著、東京三松堂」
一名対清善後策
  28年1月 世界問題 東洋ニ於ケル主権者 発行者 松田藤吉 表紙に「楠洲子新著」
一名東勢西漸論
  29年3月 航路開通 千島策 出版人 山本和 表紙に「千島有志者編著、千島有志者出版」奥付に「著者総代勝山孝三」
  30年2月 釧勝策 発行人 勝山孝三 表紙に「釧勝両国有志者著 北海有志者出版」奥付に「編著者 勝山孝三」
  30年2月 拓殖急務 北海策 発行人 勝山孝三 奥付に「編輯 勝山孝三」
  35年 新蝦夷ッ子(第一号・第二号) 雑誌
  36年4月 忠君愛民 国体籏解釈 発行所 盛文館 表紙に「法憲会出版」

注1)「発行元」欄は『国立国会図書館所蔵明治期刊行図書目録』をもとに作成し、付記すべきものについては備考欄に記入した。
注2)『国立国会図書館所蔵明治期刊行図書目録』にはないが、著書の広告欄に掲載されていたものを挙げると次のとおりである。
   「大日本策」「日本富源 北海回天策」「北海金穴 移住民案内」(『北海道殖民策 日本開富』の広告欄)、「東洋政略 支那談判」(『日清談判 最後之勝利』の広告欄)、「北海拓殖と仏教」「北海軍備策」「北海実業と華族」「北海道と対魯」「後志策」(『拓殖急務北海策』の広告欄)。