郡会の胎動

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明治二三年(一八九〇)五月に郡制が公布されるが、大阪府は、小さな郡が多くて統合する必要があったため、その施行は遅れ三一年になった。しかし、その先駆となる動きは早くからみられた。

 二〇年一月四日、大阪府の「勧業委員設置及処務準則」が改正され、一郡役所部内に勧業委員数人を置く時は、その受持ち区域を定めて報告しなければならなくなった(『明治大正大阪市史』六)。石川・錦部・八上(やかみ)・古市(ふるいち)・安宿部(あすかべ)・丹南・志紀郡役所部内では勧業委員の配置、月手当てなどを協議するために二月二一日に富田林村外百八十五ヶ村聯合会議が招集された(富田林市所蔵文書「富田林村外百八十五ヶ村聯合会議事録」)。それに先だって議員の選出が行われ、一月二八日に表55に掲げた当選議員名が公布された。会議は二一日から二五日まで開かれ、東尾平太郎を仮議長として進められた。まず、溝端佐太郎が「律法ノ不完全ヨリ未タ郡会ナルモノ無之、依テ部内ノ聯合会ヲ開キタルハ此度初メナリ」(同)と発言し、議員選出が村会議員の互選によることを確認した上で、当選状が郡長の特選によるものと紛らわしいとして書換えを要求している。この要求は支持者が多く、当選状は書き換えられることになった。議員たちは、この会議を事実上の郡会と考えていたのである。

表55 富田林村外185か村聯合議員
氏名 住所
仲村徳平 石川郡富田林村
木下政治 石川郡喜志村
澤本由平 石川郡大ケ塚村
田中平三郎 石川郡加納村
浅野安治 石川郡寛弘寺村
竹村虎三郎 石川郡森屋村
田中真十郎 錦部郡大井村
大谷信二郎 錦部郡天見村
南文治 錦部郡三日市村
西條與三郎 錦部郡長野村
山崎由松 錦部郡小山田村
中尾宇三郎 錦部郡嬉村
溝端佐太郎 丹南郡半田村
中島奈良吉 丹南郡茱萸木新田
森繁三郎 丹南郡高松村
川口喜平 丹南郡黒山村
奥田甚三郎 丹南郡多治井村
松本寿二郎 丹南郡西川村
田中幾三郎 八上郡石原村
織田信次 八上郡野遠村
真銅延二郎 古市郡駒ケ谷村
東尾平太郎 志紀郡林村
柏本兼次 志紀郡柏原村
左殿貫 志紀郡弓削村
西尾兵一郎 安宿部郡国分村

注)河内長野市所蔵旧西條本家(和彦家)文書「組合村会書類」より作成。

 勧業委員受持ち区域は、地価・戸数を目安として第一区石川郡、第二区錦部郡、第三区八上・丹南郡、第四区志紀・古市・安宿部郡の四区に分け、各区に勧業委員一人を置くことになった。一九年度は、二〇年の二・三両月だけであったが、予算案が提出されると勧業費を半額に修正可決した。予算は、地租七、戸数三の割合で村が分担する案が出されると、溝端佐太郎が勧業は農工商にかかわることが多いとして戸数割を主張し、仲村徳平・西條與三郎ら酒造業者がそれに反対したが、地租割五分、戸数割五分とする修正案が可決された。続いて二〇年度予算を審議し、飛地・錯雑(さくざつ)地の整理を強行しないように郡長に求める建議案を採択して閉会した。六月一四・一五両日開かれた臨時会では、二〇年度の補正予算が審議され、当初予算にみられなかった品評会などの勧業各種会の費用が計上された。さらに、一九年設置以来寄付金で賄われてきた郡医の費用が、衛生費として計上されている。郡医は「貧民施療」のために設けられたようで、寄付金が切れる八月以降の費用二三八円二四銭八厘が計上、可決されるが、二一年度当初予算には計上されていない。二月の聯合会議に浅野安治が試作場設置の建議案を提出していたが認められなかった(同)。しかし、二一年度当初予算には植物試験場費二五五円が計上され、さらに養蚕製糸伝習場補助費三八九円七銭五厘も計上されている(富田林市所蔵文書「明治廿一年度富田林村外百八十五ヶ村聯合村費支出予算議案」)。

 二六年八月二八日、石川・錦部・八上・古市・安宿部・丹南・志紀七郡五〇か村の村長が連署して、富田林村外四十九ヶ村組合の設立を郡長に願い出て、九月一一日に認可された。「富田林村外四十九ヶ村組合規約書」(河内長野市所蔵旧西條本家(和彦家)文書「組合村会書類」)によれば、村組合は勧業・教育・衛生に関する事件を共同で処理するためのもので、管理者は郡長であった。組合会議員は五〇人、各村一区として村会で選出することになっていた。議員の任期は六年で、三年ごとに半数改選することになっており、組合内の村公民で村会選挙に参与する権利を有する者は、すべて被選挙権を有した。議員は、互選をもって五人の常議員を選出する。「常議員規則」(同)によれば、常議員は、組合会の開会に先だち会議を開いて議案を検討し、その意見を組合会に報告し、郡長の諮問があれば、組合会が議決した事業の執行方法、順序について意見を述べることになっていた。二九年四月一日、大阪府下の郡の統合配置が法律第三八号によって公布され、石川・錦部・八上・古市・安宿部・丹南の六郡と三木本村(現八尾市)を除く志紀郡が合併して南河内郡になった。村組合は、規約の一部を改正してしばらく存続したが、三木本村が中河内郡に編入されたため、「将来共同一致目的ノ事業ヲ経営スル能ハス」として、三〇年一月二四日限りで解散し、二九年度決算の残額は三木本村には分担額に応じて返戻し、ほかは、富田林町外四十八ヶ村組合に引き継ぐことになった(美原町檀野家文書「狭山池関係村組合会 南八下村外一ヶ村組合会 金岡村外二ヶ村組合会 黒山村外十二ヶ村組合会 富田林村外四十九ヶ村組合会 南八下村々会書類」以下「組合書類」と略)。