富田林村外四十九ヶ村組合と南河内郡の歳入は、表60のとおりである。富田林村外四十九ヶ村組合には、勧業費補助として毎年一三五円が大阪府から支給されていたが、郡制が施行されると打ち切られた。しかし、明治三九年(一九〇六)には勧業費中螟虫(めいちゅう)駆除費三六〇円の補助金が支給されている。この補助金が何時から支給されるようになったかは定かでないが、中河内郡には三六年から支給されているので、南河内郡も同様であったと思われる。大正三年(一九一四)から財政規模が膨張するのは、実科高等女学校費補助が加わるからで、同時期の寄付金もそのためであったと思われる。雑収入は、授業料などである。寄付金は、明治三二年度は富田林中学校敷地購入費、大正期は実科高等女学校費・積立金に充てるためであった。明治三四年、南河内郡は、経済の基礎を確立するため郡会の議決を経て「南河内郡積立金設置並管理規程」を制定し、不要品売却代・寄付金(費目指定あるものを除く)・積立金より生じる純益金・歳入歳出決算残金を積み立てることになった。郡会では修正案が出され、積立金が一万円に達するまでは使用しないこと、使用に際しては郡会の決議と府知事の許可を必要とする条項が付け加えられた。翌三五年には、毎年積み立てる金額を定める必要があるとして、改正案が郡会に提案され、毎年一戸五銭の割合で積み立て、積立金は、公債証書を購入するか、確実な銀行か郵便貯金に預け入れることに定められた(山中田杉山(三)家文書「大阪府南河内郡通常郡会会議録」)。ところが、明治四五年(大正元年)になると、郡立実科高等女学校費による郡費の膨張、日露戦後の町村費の増加によって郡民の負担が増大するのを防ぐため、積立金額を一戸二銭五厘に引き下げねばならなかった。さらに大正五年・六年には郡立実科高等女学校の建築費に充てるため積立てを中止し、積立金一万円余を歳入に組み入れることになった。この組入れ金は、逐次返戻することになっていたが、大正七年には「百般物価ノ暴騰ニ依リ細民経済上ニモ著シキ刺激ヲ与エツヽアリ」として積立てを中止し、積立金四〇〇〇円余を歳入に組み入れている。
年次 | 繰越金 | 財産収入 | 組合村税 | 地方税補助 | 雑収入 | 寄付金 | 合計 | |||
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円 | 円 | 円 | % | 円 | % | 円 | 円 | % | 円 | |
明治29 | 140.707 | 645.500 | 70.1 | 135.000 | 14.7 | 921.207 | ||||
明治32 | 425.353 | 2617.460 | 37.2 | 4000.000 | 56.8 | 7042.813 | ||||
明治39 | 907.956 | 469.289 | 2074.354 | 54.4 | 360.000 | 9.4 | 3811.599 | |||
明治43 | 216.056 | 233.020 | 5255.000 | 87.4 | 307.000 | 5.1 | 6011.076 | |||
大正3 | 495.439 | 477.220 | 6189.000 | 40.7 | 4196.100 | 27.6 | 3254.750 | 600.000 | 3.9 | 15212.509 |
大正5 | 725.813 | 1030.060 | 7299.780 | 25.5 | 12645.600 | 44.2 | 3484.250 | 408.690 | 1.4 | 28594.193 |
大正9 | 359.043 | 195.000 | 45502.000 | 60.3 | 20110.400 | 26.6 | 9294.810 | 75461.253 |
注)明治29年は美原町檀野家文書「組合書類」、32年は山中田杉山(三)家文書、43年は富田林杉田家文書、明治39・大正3・5年は千早赤阪村伏井家文書の各「郡会議案」、大正9年は錦郡村「議事書類綴」より作成。
表61は、富田林村外四十九ヶ村組合および南河内郡の歳出である。歳出の中心をなすのは教育費と勧業費であった。三二年度の雑支出は、府立富田林中学校地の購入費である。大正期に入ると郡立実科高等女学校費のため教育費が急増するが、明治期の支出の中心は勧業費であった。明治二七年三月、富田林村外四十九ヶ村組合は「養蚕伝習場設置規則」を制定し、「大阪府石川外六郡共立養蚕伝習場」を設置した。伝習場には教師一人を置いて養蚕法を教授した(美原町檀野家文書「組合書類」)。しかし、郡の活動の中心は、自ら事業を行うよりも、奨励費や補助金を支給することにあった。二九年二月、富田林村外四十九ヶ村組合は、「奨励費下付手続」を定め、郡および村農会の物産品評会、郡教育会の教員講習会・教育談話会、村の衛生談話会や小学校の生徒賞与に金額を定めて奨励費を支給することにしている。南河内郡も、明治三三年三月、「南河内郡奨励費及補助費支出規程」を定め、郡教育会の経費・教員講習会・教育談話会・学事視察員派遣費、南河内郡農会の経費、町村農会の農産物品評会・競犂(きょうれい)会・農事講習会・農事試験場、町村衛生組合の衛生談話会に補助費や奨励費を支給し、郡内小学校生徒で品行方正学業優等者への賞与、小学校教員で職務勤励成績佳良なる者への年末慰労金の支給、小学校教員で甲種講習修了者への費用補助などを行った。このような補助費・奨励費の支給は、その後も継続して行われている(山中田杉山(三)家文書)。大正期になると勧業費の占める比率は減少し、教育費の比率が高くなるが、その大部分は河南高等女学校費である。大正九年度には道路橋梁(きょうりょう)費である土木費が三七・六%と高い比率を占め、教育費と合わせると八六%に達し、勧業費を加えると歳出の九一%を占めることになる。また、神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう)にかわる神社費が増額され、在郷軍人会聯合分会補助費が奬武費(しょうぶひ)として加わっている。
年次 | 役所費・吏員費 | 会議費 | 選挙費 | 教育費 | 衛生費 | 勧業費 | 土木費 | ||||||
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円 | % | 円 | % | 円 | 円 | % | 円 | % | 円 | % | 円 | % | |
明治29 | 22.236 | 2.8 | 64.586 | 8.2 | 160.550 | 20.3 | 150.000 | 18.9 | 394.850 | 49.8 | |||
明治32 | 530.453 | 7.8 | 254.840 | 3.7 | 138.700 | 288.500 | 4.2 | 98.000 | 1.4 | 472.640 | 6.9 | ||
明治39 | 545.688 | 15.2 | 978.858 | 27.3 | 40.000 | 1.1 | 1844.824 | 51.5 | |||||
明治43 | 472.250 | 8.4 | 1335.535 | 23.6 | 34.000 | 0.6 | 2743.117 | 48.5 | |||||
大正3 | 714.010 | 5.0 | 6.000 | 10439.146 | 73.3 | 44.000 | 0.3 | 2070.100 | 14.5 | ||||
大正5 | 884.400 | 3.1 | 24654.900 | 86.2 | 207.760 | 0.7 | 2209.470 | 7.7 | |||||
大正9 | 1924.740 | 2.6 | 1767.990 | 2.4 | 4.000 | 35856.885 | 48.6 | 68.000 | 0.1 | 3605.740 | 4.9 | 27757.980 | 37.6 |
地方改良費同研究費 | 奬武費 | 国勢調査費 | 郡費取扱費 | 財産管理費 | 積立金 | 神饌幣帛料神社費 | 雑支出 | 合計 | |
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円 | 円 | 円 | 円 | 円 | 円 | % | 円 | 円 | 円 |
792.222 | |||||||||
36.000 | 5000.000 | 6819.133 | |||||||
25.000 | 1.990 | 148.139 | 4.1 | 3584.499 | |||||
27.750 | 979.020 | 17.3 | 63.000 | 5654.672 | |||||
260.000 | 37.970 | 477.220 | 3.3 | 200.000 | 14248.446 | ||||
335.000 | 43.940 | 82.690 | 0.3 | 176.000 | 28594.160 | ||||
201.000 | 340.000 | 319.000 | 73.370 | 1224.000 | 1.7 | 543.000 | 100.870 | 73786.575 |
注)明治29年は美原町檀野家文書「組合書類」、32年は山中田杉山(三)家文書、43年は富田林杉田家、明治39・大正3・5年は千早赤阪村伏井家文書の各「郡会議案」、大正9年は錦郡村「議事書類綴」より作成。