共楽建築利用信用購買組合

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大正一一年(一九二二)九月一五日、錦郡村会に「低利資金貸付規程」が提案可決された。これは、錦郡村大字須賀に設立された有限責任共楽建築利用信用購買組合に住宅建設資金として低利融資を行うためのものであった。貸付金の償還期限は二〇年以内で、毎年三月と九月の二度に元利合わせて同額を返済することになっており、三年以内の据置期間を設けることができた。融資に際しては担保あるいは保証人を必要とし、審査の上事業遂行確実と認められれば融資が行われることになっていた。この融資を行うため錦郡村は起債をすることになり、大正一二年三月六日、内務省の認可を得た。起債額は一二万五五〇〇円で、年利四分八厘で大蔵省低利資金を借り入れる。償却期限は一八年で、一二年八月末まで据え置き、以後毎年二回三月一日と九月一日に五二四五円五二銭または五三銭を払い込むが、借入金を共楽建築利用信用購買組合に転貸し、毎期組合から元利を徴集して返還することになっていた。

写真74 大正11年「低利資金貸付規程」 (錦郡村「議事書類綴」)

 組合は、一二年八月一日に建設計画を知事に提出したようであるが、その一部として大字須賀に二反二畝一二歩の土地を購入して宅地を造成し、木造瓦葺二階建て住宅三棟、平屋建て一棟を建設した。いずれも一戸建てで土地購入費六七二〇円、宅地造成費一二〇三円一銭、建築費八二六五円八〇銭、合計一万六一八八円八一銭を要した。一三年一二月、組合は、この結果を報告するとともに計画の変更を申請している。これによれば、一四年四月二〇日までに建築費一〇万四八六二円、附属設備費一万八二〇〇円、合計一二万三〇六二円をかけて、木造瓦葺二階建て一四戸、平屋建て二二戸を建設するが、敷地は南河内郡千代田村大字市(いち)および高鷲(たかわし)村大字西川(現羽曳野市)の大阪鉄道所有地を借用することになっていた。二階建てはいずれも五間二四畳、平屋建ては八戸が四間一六畳半、一四戸が五間二三畳で、生垣に囲まれた庭には庭木や庭石が備わっているという瀟洒(しょうしゃ)な郊外住宅であった(以上錦郡村「議事書類綴」)。

 大正一〇年四月、住宅組合法が施行された。これは、互助組織により中産以下の者に持ち家を持たせようとするもので、共楽建築利用信用購買組合もこの法律によって設立されたものと思われる。大阪府でも住宅組合に対し低利融資を行うことになり、一一年二月三日、府下の市郡長が府庁に集まり、住宅組合に対する低利融資の配当を協議しており、南河内郡には一二万五五〇〇円が配当されている(『大阪朝日新聞』大正11・2・4)。一二年度分については、一三年三月に選考が行われ七組合が内定し、年度内に貸与されることになった。南河内郡では古市町厚生住宅組合一万三五〇〇円、藤井寺村住宅組合四万八〇〇〇円、大阪鉄道共済住宅組合六万四八〇〇円が内定している(同13・3・15、22)。大阪鉄道は大阪乗り入れを計画し、一一年四月に道明寺―布忍(ぬのせ)間が開通、一二年四月には布忍―天王寺間も開通した。延長計画と共に沿線の住宅経営にも着手しており、一一年四月から高鷲村大字西川・丹下(現羽曳野市)で土地の買収に着手し、一三年一二月から分譲を開始している。それに先だって大阪鉄道は、中河内郡矢田(やた)村(現大阪市東住吉区)で住宅経営に着手しているが、その際、矢田耕地整理組合と協力して事業を進めており、一四年三月南河内郡古市町(現羽曳野市)に白鳥園(はくちょうえん)住宅株式会社が設立されると積極的に経営参加している(『大鉄全史』)。共楽建築利用信用購買組合も大阪鉄道所有地を借用して住宅を建設する計画を立てており、大阪鉄道の住宅経営と関係があったと思われるが、詳細は不明である。