綿織業の消長

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当時、五〇馬力以下の電力の小口需要については、会社によって供給区域が定められ、それ以上の大口需要に対しては自由に供給することが認められていた。大阪府下でも、大口需要に対しては大会社が競争で安価な電力を供給し、小規模な需要に対しては、特定の会社が自社の料金規程に従って独占的に電力を供給していた。そのため大口需要者の料金は、一基ワット時三銭以下のものもあったのに対し、小口需要者の料金は一基五銭五厘から六銭にもなり、さらに供給常備料と称して消費電力料の二割以上の料金が付加された(陳情書「理由」『大阪朝日新聞』大正13・12・12)。そこで、河内・和泉の中小織物業者が、電力料金の引下げと供給区域の撤廃を求める運動を起こすことになった。大正一二年(一九二三)三月、南河内・泉南・泉北三郡の機業家が、南海鉄道の電力が大同電気の料金より高く、準備料が付加されることを取り上げ、代表を上京させて供給区域と常備料の廃止を陳情したが、三郡だけの廃止は理由薄弱であるとして取り上げられなかった(『大阪朝日新聞』大正12・3・7、22)。三郡機業者は、一三年一一月、浜寺(現堺市)で大会を開き、このような供給規程が不況下の機業家を苦しめているとして、撤廃を求めることにしている(『大阪朝日新聞』大正13・10・28)。一三年六月、中河内郡を加えた四郡の機業家が、このままでは大阪府下の白木綿の絶滅にもなりかねないとして、常備料金と供給区域の廃止を政府に陳情する計画を立て(同6・12)、一一月一九日には各郡代表が河内織物同業組合に集まり、工業用電力料金を一基ワット時四銭以下に引き下げること、工業用工場の電灯料を動力用と同じように供給すること、供給区域を撤廃することなどを、二二日から東京で開かれる日本織物中央大会に提案するとともに、同様の建議をするよう府会にも働きかけることになった(同11・21)。一二月六日、四郡機業家代表が、府参事会を訪れて窮状を訴え、一〇日には府知事に「生産工業に使用する電燈電力料金を引下ぐべく供給会社並に監督官庁に適当なる措置を採られんことを望む」という陳情書を提出した(同12・12)。運動は功を奏し、一四年一〇月一日、南海電鉄は、電力料金を引き下げることになった(同14・9・4)。

 このような電力料金引下げ運動の背景には、機業の不振があった。表65は、大正一一年五月の大阪府商務課が調査したものである。生産品種は、主として白木綿・ネル・天竺木綿である(同11・6・24)。六月の調査では、泉南郡で営業者・職工数にわずかな増加がみられるものの、南河内郡を除けばほとんど変化がみられなかった。ところが、南河内郡では職工数が、男工二四人、女工一四三人と、約七%も減少している。これは、南河内郡の職工が、他郡と違ってほとんど全部が近村の農民であり、農繁期になると減少する傾向があったからである(同7・26)。全体に、原料の高騰と景気の悪化によって経営は苦境に陥っていたが、八月、南河内郡では七月に比して数量六万二六五二点、価格にして一九万八〇三七円減少している(同10・6)。

表65 大阪南部4郡の機業(大正11年5月調査)
営業者数 工場数 職工数 職工平均日収 生産額
泉南 306 306 799 9,860 1,358,000
泉北 534 502 1,670 17,200 1.80 0.85 738,000
南河内 75 77 330 2,089 1.00 0.70 772,000
中河内 112 66 300 1,745 1.70 1.00 484,000

注1)泉南郡は、男女平均月収1等40円、2等25円、3等18円。
 2)『大阪朝日新聞』(大正11年6月24日付夕刊)より作成。