米穀検査の影響

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明治四四年(一九一一)一〇月、東条村が、「産米改良米穀授検組合規約」(近代Ⅴの四)を制定している。この組合は、村内の地主で組織され、村役場に事務所を置き、「産米改良ヲ勧誘シ、米穀ノ検査ヲ受ケ、改善ヲ図ル」ことを目的としていた。組合には理事一人、評議員二三人を置くことになっており、評議員は、大字佐備一〇人、龍泉五人、甘南備(かんなび)八人を大字の地主会が選出し、理事は、評議員が互選することになっていた。理事・評議員は、産米検査員や補助具を助けて産米検査受検の便を図るが、事前に米質・俵装などの審査を行うことになっていた。同年、彼方村でも、「米穀集合授検組合規約」(彼方土井家文書「議事綴」)を作成している。これは、「地主共同シテ米穀ノ集合検査ヲ受ケ、且ツ小作人ノ保護奨励法ヲ講スル」ことを目的とするもので、大字ごとに組織するが、南河内郡農会・農事奨励会と共同して事業を執行することになっていた。事業の内容は、小作米収納期前に組合員地主に集合受検の日時・場所を協議決定させることと、小作米収納所で小作米審査員と一緒に小作米の米質・俵装などの審査・品評を行い、合格米に一等・二等・三等の等級を付けることであった。組合員地主には、小作人に一等米一石につき三升以内、二等米二升以内、三等米一升以内の奨励米を交付して、米質の改良、俵装の調製に報いることを義務づけていた。

写真78 明治44年「産米改良米穀授検組合規約」 (堺市西本家文書)

 表66は、府下各郡の小作米徴収に際しての不合格米の取扱いである。報告書の記載が曖昧で、必ずしも正確なものではないが、おおよその状況をみることができる。不合格米を受理しないことをはっきりと定めているのは泉北・泉南郡の五か村、罰米または追徴金を徴収しているのが一七か村、両者を合わせても二二か村だけで、全体の八・七%にすぎない。それどころか、不合格米にも奨励金米や俵代として米金を支給している村が五二か村、二〇・六%もあり、俵を支給するものや、不合格米を納めても、込米(減量を補うために余分に入れる米)を廃したり小作料を減じたりするものを合わせると、七四か村で、二九・四%に達している。米質改良の利益を小作人にも分配するために、合格米を納入した小作人に賞与米金を交付することになるが、それでも合格米を納入させることが難しかった。

表66 不合格米の取扱い(明治44年)
郡名 町村数 不納 罰米金 奨励米金・俵代米金支給 俵支給 減米
町村数 町村数 町村数 町村数 町村数
西成 14 3 21.4 6 42.9
東成 23 2 8.7 1 4.3 1 4.3
三島 32 2 6.3
豊能 19 6 31.6
泉北 21 2 9.5 3 14.3 6 28.6 2 9.5 3 14.3
泉南 36 3 8.3 3 8.3 7 19.4 1 2.8 2 5.6
南河内 48 4 8.3 5 10.4 4 8.3
中河内 40 2 5.0 7 17.5 1 2.5
北河内 19 6 31.6 12 63.2 2 10.5
合計 252 5 2.0 17 6.7 52 20.6 10 4.0 12 4.8

注)『明治44年度大阪府米穀検査報告』より作成。

 南河内郡の産米検査の成績は、表67のとおりである。大阪府下全体の合格率は、最も低い明治四四年度が九二・六%で、最高は、大正九年度の九七・六%である。これに比べると南河内郡の合格率は、極めて高率である。しかし、合格率が高いことは、ただちに検査の効果が上がったことにはならない。米穀検査員には地主が多く、産米検査の負担を小作人に転嫁することが難しく、検査基準が甘くなったことも考えられる。大正三年(一九一四)一二月、大阪府知事は、米穀検査の成果が上がらないのは、実施されているのが産米検査だけで、移出米検査が実施されていないからであるとして、府会郡部会に移出米検査の実施を提案した。移出米検査は、産米検査に合格した米のうち、管外に移出されるものをさらに検査して合格・不合格に分けるものである。移出米検査実施の結果、大正四年の河内米の相場は、一石平均三〇銭値上りしている。それと同時に、産米検査の合格率が低下しているが、不合格米による小作米の納入を拒むことも難しかったと思われる。同年、府会郡部会は移出米検査に反対する動きをみせている(服部前掲書)。

表67 南河内郡産米検査の成績
年次 生産量 検査率 合格率
明治44 179,069 56.5 97.7
大正1 168,995 60.9 98.4
2 166,900 60.4 99.2
3 199,790 65.7 99.5
4 186,484 59.0 98.8
5 185,461 60.8 98.9
6 173,446 55.6 97.3
7 161,786 54.5 98.1
8 182,249 54.1 99.2
9 149,009 54.9 99.4

注)服部敬『近代地方政治と水利土木』より作成。

 「大正十年農商務省小作慣行調査書」には、「穀物検査ト小作慣行トノ関係」という項目がある。市域各村の回答の要点を整理したのが表68である。錦郡村が欠けているのは、同村のこの欄が空欄になっているからである。これをみても合格率は高く、九〇%を超えており、東条村のように「再調製ノ上合格シタルモノアリ」という但し書が付せられているものもある。不合格米の扱いについての記述は少なく、東条村が「小作米ノ品質ハ等級ヲ制限スルニ至レリ」と記しているだけである。合格米に対してはほとんどの村で奨励米を支給しており、川西村のように、奨励米を交付する地主は「ナシ」と回答しながら、奨励米の欄に記述のある村もある。産米検査制度によって、一俵の容量は四斗に統一されたが、従来は喜志村五斗二升、川西村五斗一升、大伴・彼方村五斗、東条村四斗二升とまちまちであった。容量の統一だけでなく俵装・調製などにも労力を要し、小作人の負担となった。その代償として込米は廃止されるところが多く、大伴村では、俵代として小作米一石につき七合五勺を支給しており、俵を現物で支給するところもあった。「小作料中ニ加算」としているのは、東条村だけである。大伴村は、産米検査の影響を「従来ヨリ俵装ノ調製ナリ乾燥等幾分労力手間ヲ多ク費シ、自然農ヲ厭(いと)ヒ職ヲ他ニ求ムルモノ多数ニシテ、年々是等深刻シツヽアリ」と述べている。このような状況は、鉄道の開通によって大阪への通勤が可能になった地域に共通のものであったと思われる。

表68 小作慣行への産米検査の影響
町村名 等級別産米(俵) 奨励米(升) 奨励米交付地主 罰米 込米
1等 2等 3等 不合格 1等 2等 3等
富田林町 3 5 2 3 2 1 全部 なし 従来よりなし
新堂村 1000 3000 2057 45 なし 廃止
喜志村 1 7 2 1.5 1 0.5 全部 なし
大伴村 2 1 0 全部 なし
東条村 2000 1800 1200 100 3 2 0.5 3割 なし 小作料に加算
川西村 6000 3000 1000 100 2~5 1~3 0~1 なし 廃止
彼方村 3000 2000 1000 500 2 0 0 7割 廃止

注1)富田林町・喜志村の等級別産米は、比率である。
 2)「大正十年農商務省小作慣行調査書」より作成。