小作勢力の伸張

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第一次大戦後の社会変動は、農村問題を深刻にした。大正九年(一九二〇)の大阪府の調査では、「大小の紛争は府下全農村中殆んど行はれざる所無き位」で、事例として挙げられた中に川西村と錦郡村が含まれている(『大阪朝日新聞』大正9・7・10)。大正一〇年大阪府下の小作争議数は表71のとおりであるが、南河内郡は泉南郡に次いで多くなっている。大正一〇年、農商務省は大規模な小作慣行調査を実施した。町村ごとに町村調査書を作成し、それに基づいて郡調査書が作成され、さらに府県調査書が作成された。以下、町村調査書(「大正十年農商務省小作慣行調査書」)によって市域の地主小作関係をみておこう。

表71 大阪府下の小作争議(大正10年)
市郡名 件数 関係面積 関係地主 関係小作人
面積 一件当面積 総人数 一件当人数 総人数 一件当人数
東成 15 54 3.6 93 6.2 1,213 80.9
西成 2 4 2.0 6 3.0 82 41.0
三島 19 74 3.9 227 11.9 886 46.6
豊能 22 91 4.1 509 23.1 1,532 69.6
北河内 6 38 6.3 111 18.5 408 68.0
中河内 5 41 8.2 71 14.2 573 114.6
南河内 36 185 5.1 718 19.9 2,517 69.9
泉北 31 124 4.0 572 18.5 2,907 93.8
泉南 70 319 4.6 1,292 18.5 5,446 77.8
大阪 1 2 2.0 8 8.0 35 35.0
合計 207 932 4.5 3,607 17.4 15,599 75.4

注)『大阪朝日新聞』(大正11年4月18日)より作成。

 小作契約に際して証書を交わすことは少なかったが、これについて富田林町は、次のように報告している。

地主ト小作人トノ間ノ契約ハ、他ノ貸借売買取引等ト異ナリ証書ノ締結ナキモ、能ク尊主(遵守)シテ履行ノ出来得ルモノナリシモ、近時ノ労動(働)ニ比シ其利得甚ダ少キ為メ自然地主小作人間ノ親密ヲ欠キ、地所ノ返還小作米ノ納入等ニ徳義上ノ行為ヲ薄弱ナラシムル傾向アリ

従前ハ、風水旱害等ノ場合ニ軽減ヲ請ヒタルモノナレトモ、近時ハ、然(しか)ラザルモノ軽減ヲ請フ傾向トナレリ

 小作人の要求の厳しさを、大伴村は次のように報告している。

凶作ニ遭遇スルトキハ、小作人ハ団結シテ之ニ当ルヲ以テ多少交渉ノ上行悩ミ等ヲ生ゼシカ、一挙ニ土地ヲ地主ニ返還シ若シクハ一時的不毛等ヲナシ、示威的行動ヲ地主ニ与ヘ小作人自ラ損害ヲ招ク事例アリ

 小作料の減免要求を避けるため、あらかじめ小作料を一割程度低くして定免(じょうめん)(定額)とすることも行われ、喜志村では「近時年ハ小作人ヨリ減免請求セラルヽニ依リ、地主ノ内ニハ之ヲ嫉(にく)ミ定免トナスモノモ増加スル状態」であった。しかし富田林町では「従来ハ、壱割位ヲ減少シテ定免ト定メタルモノハ容易ニ其以上ノ減額ヲ請ハザル例ナリシモ、近時、減少ヲ要求スル傾向ヲ生シタリ」という状況であり、川西村では「五ヶ年前ヨリ普通宛ト何等変ルコト無ク減免ヲ要求スル故、定免トスル方弊害多ク、地主側損失ヲ招ク」という状況であった。大伴村でも「一朝凶作ニ遭遇スルヤ、普通其年々ニ於テ定ムル他ノ地主ヨリ減免程度低キタメ、小作人ニ於テ不履行ニ終リ、結極(局)地主ノ不利」となり、「平年作収穫ヨリ減セル場合ハ、其割合ヲ折衝シテ是レヲ定ムルヲ例トセシガ、近来農産物ノ価格低落ノタメ、損失ノ負担ハ大抵地主ニ於テスルノ傾向アリ」という始末であった。小作料も「二、三年前ヨリ頻(しき)リニ落下リツヽアリ」「商工業ノ発達ニ伴ヒ労銀ノ昂騰ヲ来シ、農家ノ不経済ヨリシテ年々減免ノ度ヲ増スノ傾向アリ」ということになった。小作料の減額は川西村・彼方村でも指摘され、その理由として「小作料抵(低)落ノ趨勢(すうせい)ニアリ、小作ノ収支償ハズ寧(むし)ロ小作ヲ減ジ商工業ニ傾ク故、地主ニ権利無キ為メ期(斯)る傾向ヲ示ス」(川西)、「世界大戦乱后事業熱ニ伴フ工場ノ増加、職工不足、賃銀ノ暴謄ニ依リ農耕ヲナスモノ減ズルニ従ヒ、耕地ノ豊富、施肥ノ節約、小作人ノ不奴(努)力ニ基ク減収等主ナル原因トス」(彼方)と都市商工業発展の影響を挙げている。彼方村は、「近時国民思想ノ変化、小作人権利思想ノ発達セルニ係ハラズ慣行ニ於テハ何等ノ改善ヲ加ヘラレズ、故ニ地主小作人間ハ益々紛争ヲ継続シ、引イテハ減免等ハ年次悪化シ行ク有様」と小作人の権利思想の発達と小作慣行のずれに紛争の原因を求めている。

写真80 「大正十年農商務省小作慣行調査書」(川西村・大伴村)

 大伴村は、このような状況を改善するために農家の経済状態を改善する必要があるとして、次のように主張する。

元来農家ノ労苦ハ他ノ業務ニ比シ激シクシテ其利益僅少ナル故、一般生活ノ度ヲ高マルニ随ヒ現状維持スルコト困難トナリ、自然自己主義ニ走リ常ニ道徳心ノ欠陥ヲ来シ、加フルニ世ノ進歩ニ伴ヒ思想ノ変化ヲナシテ農業ヲ厭フモノ益々増加シ、現状ノ侭推移セバ農家ノ将来実ニ寒心ニ堪ヘサルモノナリ、依テ是レガ対応策トシテ農産物ノ価格ヲ諸物価ト均等ナラシメ、以テ農家経済ノ安定ヲ図リ大井(おおい)ニ産業振興ニ指導誘掖(ゆうえき)事カ一策カト思考ス

 それと同時に「要ハ即チ道徳心ノ涵養(かんよう)ト農家経済ノ円滑ヲ図ル途ヲ講セバ、地主小作間ノ紛擾スル事ナク総テ円満ニ解決シ得ベキモノトス」と道徳心の涵養を小作争議の解決策として重視している。喜志村も、毎年地主に減免を要求する悪習や、小作人が都会に移転するのを防ぐ方策を次のように述べている。

現今農村ノ経済及農民精神状態ハ殆ド疾憊(しつぱい)ノ極ニ達シツヽアルヲ以テ、軽薄ナル農民ノ子弟ハ都市生活ヲ憧憬(どうけい)シ工場職工、電車車掌、其他汎(あら)ユル労働者ノ群ニ投ジ実ニ憂慮スベキ精神状態トナリ、果(はて)ハ帰郷着実ナル生活ヲ初ムル事ヲ得ズ、カルガ故ニ斯ル奴隷生活ハ自己ノ自由意志ノ活動ヲ拘束シ、所謂(いわゆる)人間精神上大ニ不快ニシテ且ツ不幸ナル事ヲ知悉(ちしつ)セシメ、一方農民ノ生活ハ其素質ニ於テ実ニ精神的ニハ如何ニモ裕(ゆた)カニシテ意志ノ自由ニシテ趣味津々タルヲ徹底的ニ悟得(ごとく)セシムル様涵養スルコト、目下ノ急務ノ一トス

 しかし、道徳心の涵養で問題が解決しないことは、戊申詔書以来の動向をみても明らかである。