農民組合の結成

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大正一一年(一九二二)、大阪府は、小作人組合が介在して小作人勢力が台頭してきたこと、争議が過激化する傾向にあることを憂慮して、農務課に小作争議調停の専門技術者を設置する計画を立てた。一二年、小作調停法案が議会で否決されると、その実現を急ぐことになった(『大阪朝日新聞』大正12・7・12)。一一年八月から一二年六月までの大阪府下の小作争議に関係した耕地面積は四八二町八反余で、そのうち四三%に当たる二〇七町六反余を南河内郡が占めており、関係地主・小作人とも最大数を占めていた(同)。大正一二年八月から一三年六月までの大阪府下の小作争議は表72のとおりで、争議に関係ある耕地面積は全体の三分の一にも及んだ(『大阪朝日新聞』大正13・9・23)。大阪府農会の調査によれば、争議発生の原因は、主として米価下落諸物価騰貴であった。小作人側の要求は二割から五割、平均三割の小作料軽減であったが、一時的なものではなく永久減免を要求するものも多かった。小作人は、各所に演説会を開いて気勢を上げ、地主が要求に応じなければ小作米を倉庫に保管するか、売却して代金を銀行に委託預金して地主の強制執行に対抗した。地主も、団結して小作人に対抗し、小作料不納の場合は提訴する者もあった(同4・27)。多くは三割程度の一時的減免で「互譲的解決」(同)をすることが多かったようであるが、地主・小作とも組合を結成して対抗するようになった。

表72 大阪府の小作争議(大正12年8月~13年6月)
郡名 件数 関係面積 関係地主 関係小作人
総面積 一件当面積 総人数 一件当人数 総人数 一件当人数
三島 103 3,041 29.5 999 9.7 3,362 32.6
豊能 29 866 29.9 306 10.6 1,287 44.4
北河内 38 2,689 70.8 932 24.5 2,460 64.7
中河内 41 2,349 57.3 537 13.1 2,531 61.7
南河内 186 2,693 14.5 1,597 8.6 5,347 28.7
泉北 157 3,796 24.2 1,795 11.4 6,968 44.4
泉南 716 2,065 2.9 969 1.4 2,942 4.1
合計 1,270 17,499 13.8 7,135 5.6 24,897 19.6

注)『大阪朝日新聞』(大正13年10月18日)より作成。

 大正一四年一月二七日、南河内郡埴生(はにゅう)村向野(現羽曳野市)西称寺で日本農民組合支部の創立大会が開かれた(『ワシラノシンブン』大正14・2・1)。これ以後、南河内郡でも各地に日本農民組合支部の設置をみており、喜志村字宮では、四三人の小作人が、昨夏の干魃(かんばつ)による不収穫を口実として、耕地三〇町歩に対する納米を六割五歩減免してほしいと要求した。地主側は、郡当局に調停方を依頼したようであるが、小作人側は、その主張を貫徹するため農民組合支部を設け、二月一五日発会式を挙行することになった(『大阪朝日新聞』大正14・2・15)。そのころ大伴村字大伴でも、四〇町歩の耕地に対し喜志村と同一の要求を掲げて地主と交渉していたが(同)、農民組合は結成されなかったようである。日本農民組合の機関紙である『土地と自由』四七号の大阪府版に「大阪府聯合会一覧表」が掲載されている。これによって大正一四年一一月現在の区郡別支部数・組合員数を示したのが表73である。南河内郡は、争議の多さに反して、日本農民組合の支部・組合員数は極めて少ない。南河内郡の小作争議は、ほとんどが日本農民組合によって組織されなかったということであり、市域では喜志村字宮の支部が唯一のもので、組合員数は二〇人、支部長は山口卯三郎であった。なお、「大阪府聯合会一覧表」では、向野支部の日本農民組合加入は一四年二月一日になっており、『ワシラノシンブン』の一月二七日、『大阪朝日新聞』(大正14・2・15)の二月五日と相違している。喜志村の宮支部の加入は、「大阪府聯合会一覧表」では一四年一月三〇日になっていて、向野支部より早く、南河内郡で一番早かったことになるが、これは事実に反するものと思われる。日本農民組合大阪府聯合会は、一五年のメーデーに参加した。各支部の代表が中之島の集会に加わり、他は地域の集会に参加することになり、「お百姓姿」でねりこみ、気勢を上げた(『大阪朝日新聞』大正15・5・2)。南河内郡は富田林で集会が開かれた。

表73 日農支部・組合員数
区郡名 支部数 組合員数 平均人数
東成区 6 365 60.8
西淀川区 2 32 16.0
三島郡 10 664 66.4
北河内郡 35 1,617 46.2
中河内郡 13 645 49.6
南河内郡 5 190 38.0
泉南郡 15 902 60.1
合計 86 4,415 51.3

注)「大阪府聯合会一覧表」(『土地と自由』47号大阪府版)より作成。

 昭和二年(一九二七)、富田林町で小作争議が発生した。関係土地二三町三反五畝二二歩、地主二五人、小作人四八人で、小作調停に持ち込まれた。三年一一月二二日、堺区裁判所に小作官・富田林町長・地主代理人・小作代理人が会して調停委員会が開かれ、調停が成立した。従来からの契約小作料が改正され、字富田深は二割、その他は二割三分を減額し、小作料が定免になっているところもこれに従うことになった。改定小作料の二倍を平年作と定め、収穫量がそれに満たない年は、不足分の半分を改定小作料から免引きするが、一反の収穫量が一石以下の場合は、全額を免除することになった。その額は、表74のとおりである。その他、主な契約条項は次のとおりである(富田林杉本家文書「調書」)。

(1)小作料は、検査合格米をもって毎年一二月二五日までに町内地主宅か町内の地主指定場所に持参する。

(2)小作人が、地主の承諾を得ないで、小作権を譲り渡したり小作地を転貸することを禁止する。

(3)凶作のため、小作人が減免を要求する時は、中稲は一〇月一五日、晩稲は一〇月二五日までに申し出て、両者立会の上協定するか坪刈によって収穫量を決定する。意見が一致しない時は、折半の刈分とする。

(4)小作人が所定の手続を経ないで立毛を刈り取った時は、減免の要求を認めない。

(5)二年以上小作料が未納の場合は、土地の賃貸契約を解除する。

(6)小作料を金納しようとする時は、時価に換算して支払いすることができる。

(7)小作人は、地主の承認を得ないで小作地の現状を変更することはできない。

 なお、二年度の小作料は、小作米一石につき空田は四斗二升、字富田深は三斗七升を減免し、期日までに皆納すれば奨励米として小作米一石につき三升を支給することになり、金納するものは、一石二九円に換算することに決めている(同)。

表74 富田林町改訂小作料ならびに平年収穫量
名称 空田 富田深
新畝小作料(石) 1.636 1.527 1.309 1.745
減額歩合(割) 2.300 2.300 2.300 2.000
減額量(石) 0.376 0.351 0.301 0.349
改定小作料(石) 1.260 1.176 1.008 1.396
平年作(石) 2.520 2.352 2.016 2.792

注1)平年作は改定小作料の倍額とする。
 2)富田林杉本家文書「調書」より作成。