自治報国宣言

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昭和一三年(一九三八)四月二五日の東条村村会には、「議案第二二号 自治報国ニ関スル宣言決議ノ件」が提出されていて、村会会議録に次のように記されている(東条村「議事之綴」)。

村長ハ自治制発布五十周年ニ相当スルヲ以テ、大阪府下ニ於テモ全町村ハ一勢ニ本日ノ午前拾時ヲ期シテ町村会ヲ開会シ、自治報国ニ関スル宣言決議ヲナスモノニシテ、現下ノ重大時局ニ際シ此ノ意義アル記念日ヲ迎ヘ、一致協力増々自治ノ精神ヲ強調シ、以テ奉公ノ誠ヲ尽サントスルハ光栄ノ極ト云フベク、去ル四月十七日帝都ニ於テ盛大厳粛ナル記念式典ヲ挙行セラレ、畏(かしこ)クモ

聖上陛下御親臨アラセラレ、優渥(ゆうあく)ナル勅語ヲ賜フ、恐懼(きょうく)感激ノ至リニ堪エズ、各員一層ノ御精励ヲ望ムト、四月十七日ノ記念式典ヲ具(つぶ)サニ報告スルト共ニ、本日ノ意義深重ナル村会ニ付キ説明ヲナス

 右の文中の村長は、道籏治衛である。道籏治衛は、昭和八年に松本侃二前村長のあとを受け、一五年まで東条村村長をつとめた。一三年四月二五日の村会では、道籏村長の説明の後、議長が「宣言案」と「決議事項」を朗読し、続いて村会議員奥田理一郎が「時局柄尚意義アル五十周年」「宣言案ヲ脳裡ニ徹シ、決議事項ヲ実践シテ自治報国ヲ期スベキナリ」と賛成意見を述べ、この日の「最モ重大ナル議案」が、総員賛成のもとに可決されたと村会会議録は記している。当日の宣言と決議事項は、次のようなものであった。

  宣言

自治制発布五十周年ヲ迎フルニ当リ、昭和十三年四月十七日輦轂(れんこく)ノ下、盛大厳粛ナル記念式典ヲ挙行セラレ

畏クモ 聖上陛下御親臨アラセラレ、優渥ナル勅語ヲ賜ヒ叡慮深遠ニシテ聖恩ノ宏大ナル洵(まこと)ニ恐懼感激措ク能ハザル所ナリ、本村会ハ今回賜ハリタル勅語及市制町村制発布ニ関スル上諭ノ御精神ヲ奉体シ、非常時局ニ於ケル自治行政ノ重大性ニ鑑(かんが)ミ、協心戮力(りくりょく)堅忍持久自治ノ進展向上ニ努メ聖旨ノ万一ニ応ヘ奉ランガ為、挙村一致茲(ここ)ニ自治報国運動ニ邁進(まいしん)セムコトヲ期ス

  決議事項

一、敬神崇祖ノ念ヲ村民生活ニ徹底シ敦厚(とんこう)ノ民風ヲ涵養(かんよう)シテ挙村一致ノ実ヲ挙グルコトヲ期ス

一、自治ノ本領タル和衷協同ノ精神ヲ振作シテ、挙村一致ノ実ヲ挙クルコトヲ期ス

一、勤労精神ヲ昂揚シ経済更生ノ実ヲ挙ゲ時艱(じかん)克服ヲ期ス

一、挙村一致各種団体相聯携シテ住民共同ノ福祉増進ヲ期ス

一、建国ノ大義ニ立脚シ一致協力時艱ノ克服ヲ期ス

一、自力更生ノ気風ノ振作ヲ期ス

一、国民精神総動員ノ趣旨ニ則リ一致協力自治ノ振興ヲ期ス

 右の宣言と決議事項は、四月二五日の同時刻に、大阪府内各町村において町村会を開催し、議案として提出したうえ、いっせいに可決されるかたちがとられた。彼方村村会会議録にも、全く同じ宣言文と決議事項が掲げられ、当日可決されたことが記されている。市制および町村制が公布されたのは、明治二一年(一八八八)四月二五日であった。ちょうど五〇年目に当たる昭和一三年四月二五日に、日中戦争遂行のための国民精神総動員運動の一環として、府内全町村でいっせいに自治報国宣言と決議事項が採択されたのであった。

写真95 昭和13年「東条村自治報国宣言」 (富田林市所蔵)

 昭和一五年度の富田林町の決算書には、国民精神総動員費として一二九円五七銭が支出されたと記されており、同年度の川西村の決算書によると、国民精神総動員運動の具体策として、天誅組慰霊祭を執行したと記録している。喜志村では、同年度に国民精神総動員費一七三円八〇銭が支出されていて、このうち一〇〇円は物資配給統制諸費として使われていた。翌一六年度の大伴村の決算書には、国民精神総動員費四九円四二銭、このうち貯蓄組合用紙代一四円八〇銭と記されている。