臨時教員養成所の開設

437 ~ 438

中等学校への入試の過熱化の一方、小学校では教員の不足が深刻な問題となっていた。『大阪府統計書』によると、昭和一〇年度の市町村立小学校の尋常科教員総数は九四〇一人、そのうち九六%に当たる九〇六〇人が正教員で、全国でも高い割合を示していた。正教員数は一四年度になっても一万〇一一九人と、それほど大きな変化はみられなかった。ところが、代用教員および准教員数は昭和一〇年度には三四一人であったものが、一四年度には八九七人へと大きく膨らんでいった。代用教員・准教員数の中でも女性は昭和一〇年度一三八人から一四年度の五四九人へと大幅な増加を示した。正教員の不足は明らかであったため、新聞や府会でもこの問題をしばしば取り上げるようになった。

 府会では、昭和一四年(一九三九)一二月の府会学務部審査委員会で議員中井隆三が「師範学校ハ兵役法ノ改正ニ依リマシテ中々入学生ヲ得ルノニハ非常ニ困難ナヤウニ全国的ニ聞イテ居リマス」と述べた。昭和二年四月公布の兵役法では師範学校卒業生の短期現役制が定められていて、師範学校で教練を修了した者の服役期間は五か月となっていた。この短期現役制は、一四年三月の兵役法改正によって廃止された。一般の青年と同じく軍隊に入り、戦場におもむくことになったのである。短期現役制の廃止が教員不足に連なる、とこの議員は主張したのである。

 昭和一五年四月、こうした小学校の教員不足を補うために、大阪府は臨時教員養成所(臨教)を女子師範、富田林高女、茨木高女に設置した。応募資格は高女卒業および専門学校入学検定試験合格者であった。二か月間(八週間)の講習ののち、尋常小学校の代用教員として採用、半年後、正教員の資格を与えるというものであり、小学校教員の短期間大量養成を目的とし、入学金、授業料は免除された。各臨教とも一期目の定員は四〇人であった。富田林高女では五月一一日、入所式が挙行され、校舎の一部に臨時教員養成所が開設された。所長には、富田林高女校長実宝達治郎が就任した。授業内容は修身・教育(教育学、心理学、教育史、学校管理法、各科教授法)・音楽・実地授業の二七〇時間であった。講義は五月一三日から六月二九日まで行われ、実地授業は主に富田林小学校で行われた。入所してから八週間後、修了式が行われた。二期目の臨教の募集は大手前、泉尾、堺、寝屋川各高女でも行われた。翌年からは一期の定員は五〇人に増えた。富田林臨教には大阪府内だけでなく、奈良県、和歌山県、香川県からも生徒が集まって来た。

 それでも、一八年一二月、文教審査委員会の席上、大阪府内政部長岡本茂は国民学校教員の不足を訴え、国民学校全体で三三四人の欠員があるとし、一九年三月には欠員がさらに増え、八七一人になると報告した。

写真122 臨時教員養成所に関する書類綴 (河南高校所蔵)