民主化への転換

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昭和二〇年(一九四五)一〇月四日、連合国軍総司令部は、「政治・信教ならびに民権の自由に対する制限撤廃の覚書」を発した。この覚書は、全政治犯の釈放、治安維持法などの廃止、思想警察の全廃、天皇制批判の自由、内務大臣・特別高等警察の全員の罷免などを内容としていた。このため、旧来の天皇制を護持しようとしていた東久邇宮内閣は翌五日に総辞職した。かわって一〇月九日に幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)内閣が成立し、一〇日には政治犯三〇〇〇人が出獄した(大阪は八日に釈放)。そして一〇月一一日、マッカーサーは幣原首相に「婦人参政権による日本女性の解放、労働組合の結成奨励、学校教育の自由主義化、秘密審問司法制度の撤廃、経済機構の民主化」の五大改革を口頭で要求するとともに、憲法の改正を示唆した。こうした総司令部のやつぎばやの指令によって、日本の民主改革は急速に進んだ。

 富田林警察署の「沿革誌」には「特高警察係廃止」とあり、「大東亜戦争、昭和二十年八月十五日に終戦となり連合国軍の指令に基づき特高警察制度を廃止せらる」と記されている。

 富田林高等女学校教務日誌の昭和二〇年一二月二六日には、「御真影(ごしんえい)奉還ニ関シテ学務課藤田氏来校」とあり、翌二一年一月三〇日には、朝礼後「御真影奉還式挙行、終リテ奉送」、二月四日に「奉安殿(ほうあんでん)、霊殿ヲ放課後男職員ノ手ニテトリコボチヲ為ス」と記されている。二月二一日に「職員英語講習三時~四時二〇分、橋本講師ノ英語会話ヲ始ム」とあり、二三日には午後二時から三時三〇分まで「職員英語研究会」があり、そのあと「江川教諭ヨリ時事解説」が行われた。「職員英語研究会」は、二月二五日にも開かれている。教務日誌の三月二三日には、「成績交附」とあり、続いて「進駐軍DDT散布(全生徒職員及宿直室作法室ニ)」と記されている。

 富田林中学校の教務日誌には、昭和二一年一月三〇日に「朝礼後、御真影奉還ニツキ学校長ヨリ訓話アリ」「午前十時御真影御出発、職員玄関ニテ奉送ス」と記されている。同年二月一一日には、「午前八時紀元節拝賀式 学校長訓辞」とあり、「米国及日本ノ国民ノ各特質ヨリ説キオロシテ、新日本建設ニアタリ、我等ノ心構、行キ方ニツキ説明セラル」と記されている。拝賀式の後「校友会組織結成」についての訓辞があり、その後教室で各主任と生徒が「委員選挙」などについて懇談した。