戦後の警察制度の改革は、軍国主義の除去と民主主義的傾向の復活強化をめざす連合国軍最高司令官総司令部の重要な政策の一つとして推進された。昭和二〇年(一九四五)一〇月四日の総司令部の覚書によって、特別高等警察と外事警察が廃止され、その所属職員はすべて罷免された。経済警察部門は、戦時経済体制の崩壊によってその任務の根拠を喪失した。こうした急激な変化は、警察官の士気にも大きな影響を与えた。
富田林警察署の「沿革誌」には、「特高警察係廃止」の見出しで、「大東亜戦争、昭和二十年八月十五日に終戦となり、連合国軍の指令に基き特高警察制度を廃止せらる」と記されている。
昭和二一年一月一六日、総司令部は「日本警察の武装に関する件」という覚書を発した。終戦後の犯罪凶悪化に対応するため、警察官の拳銃携帯を許可したのである。そして、同年三月一三日付の勅令で、明治以来長年携帯されたサーベルが廃止され、四月から警棒を所持することとなった。拳銃携帯が認められたものの、その配分はきわめて不十分であり、サーベルを廃止して警棒を所持したことは、当時の警察官にとっては丸腰になったと同様であり、権威を喪失したような感じとなった。警察官の権威の象徴でもあったサーベルがなくなったことは、当時の一般市民の目にも奇異な印象を与えた。
富田林警察署の「沿革誌」は、「特高警察係の廃止」の記録に続いて、「署直轄派出所新設」の見出しで、「昭和二十一年二月十五日、終戦後険悪なる社会情勢に照応し、集団警備力を確保するため当署内に署直轄派出所を新設し、巡査部長二名巡査八名を配置さる」と記している。集団警備力確保の必要から、署直轄派出所が新設されたのであった。ただし、この署直轄派出所はわずか七か月後、同年九月二七日に「社会情勢上必要性」がなくなったとして廃止された。ちょうどこの時期、日本の警察制度はGHQの指令によって、かつてない大改革の方向が示されていた。
二二年九月一六日、マッカーサーは片山首相に書簡を送り、日本の警察制度の民主化と地方分権についての具体的な指示を行った。この指示に基づいて、同年一二月一七日に警察法が公布され、翌二三年三月七日に施行されることになった。この警察法は、市および人口五〇〇〇人以上の町村に設置される自治体警察と、自治体警察を置く能力のない町村を対象とする国家地方警察の二本立てとし、前者は市町村の公安委員会、後者は都道府県公安委員会の運営管理下に置かれるというものであった。
大阪府では、総司令部の指示もあって、警察法の施行に先だって、府下の警察組織の全面的改革が行われた。すなわち、二二年一二月一〇日に府関係五九市町村公安委員会の委員氏名が内務省に報告され、一二月二一日には新警察制度の発足をみたのである。富田林町役場の公安委員会関係の書類綴りには、二二年一二月一六日付で大阪府警察部長から関係各市町村長および公安委員に宛てられた「新警察制度の実施について」と題した文書がある。同文書には、「日本国憲法の精神に則り地方自治の真義を推進して国民の権利と自由を保護するための警察法は十二月八日両院を通過成立して近日公布せられる見込であります」とあり、「当府は先般総司令部より十二月二十一日を期して警察法施行前に新警察制度を早急実施するよう指令せられた」と記されている。続いて同文書は、「直に諸般の準備計画に着手」し「各方面からの絶大なる協力」を得て「新機構への移行態勢は概ね完了」したと述べ、「新制度は日本警察の画期的改革であります」と記していた。
富田林警察署がこれまで管轄していた町村のうち、富田林町には自治体警察が設置され、東条村(現富田林市)・磯長(しなが)村・山田村(ともに現太子町)・石川村・白木村・河内村・中村(いずれも現河南町)・赤阪村・千早村(ともに現千早赤阪村)の九か村は国家地方警察南河内地区警察署の管轄となった。富田林町では、二二年一二月六日に杉多三次郎、葛原茂治、華園称淳の三人が公安委員に任命された。杉多三次郎は七一歳、新堂村長や富田林町会議員などの経歴を持ち、葛原茂治は六六歳、南河内酒造組合長を三一年間つとめ富田林町会議員二〇年の経歴、華園称淳は五〇歳、僧侶で富田林興正寺別院主監であった。この三人が署名した一二月六日付の「宣誓書」には、「富田林町公安委員会の委員に任命せられたことを心から光栄とし日本国憲法及び法律を擁護し命令、条例、及び規則を遵守し何者をも恐れず何者をも憎まず良心のみに従つて公正に職務を遂行することを厳粛に誓う」と記されていた。富田林町公安委員会は、同月一一日までに富田林町警察長に警部玉谷日出男を任命した。警察長は警察署長を兼任した。一二月二一日付で富田林町警察長が同町公安委員会に提出した「警察組織及署員配置案」によると、富田林町警察署の構成は、警察長・警察署長警部一、次席警部補一、庶務係巡査一、会計係巡査一、警務並警邏(けいら)主任警部補一、外勤係巡査部長二、外勤係巡査六、駐在所巡査七、交通係巡査二、看守巡査二、公安・保安・営業巡査一、刑事係主任警部補一、刑事(司法)巡査部長一、刑事(司法)巡査三、刑事(経済)巡査部長一、刑事(経済)巡査一であった。
富田林町警察署は発足当時同町大字毛人谷(えびたに)四三三番地、四三二番地に置かれ、国家地方警察南河内地区警察署と共に旧富田林警察署の建物を使っていたが、二四年に同町大字富田林一〇六番地に移転した。富田林町警察は、昭和二五年四月一日の市制実施にともない富田林市警察署と改称した。二九年七月一日、警察法が改正され、国家地方警察南河内地区警察署と富田林市警察署が統合して大阪府富田林警察署と改称した。大阪府富田林警察署は、旧国家地方警察南河内地区警察署庁舎、すなわち戦前からの富田林警察署の庁舎に置かれた。その後、三六年八月に富田林市大字毛人谷五〇番地の一に鉄筋コンクリート二階建て庁舎が新築されて移転し、さらに平成元年(一九八九)三月に同じ場所に鉄筋コンクリート六階建て庁舎が新築された。