市制実施

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昭和一七年(一九四二)四月に富田林町・新堂村・喜志村・大伴村・川西村・錦郡村・彼方村の一町六村が合併して町域を大きく拡大していた富田林町が、市制を実施したのは昭和二五年四月一日であった。市制実施に関する議案「富田林町を富田林市とするの件」は、この年一月一三日に町議会に提出された。この日の町議会では、市制実施は住民の負担を大きくするのではないか、町民とくに農民の意見を十分聞いたうえで採決すべきではないかといった意見があり、本会議を一時中断して協議会が開かれた。協議会ののち再開された本会議において、西田伝三郎町長は「先ず町の最高議決機関である町会の議決を経て然る後、町民によく周知徹底する方法を講じたいと思ってゐる」「市制施行後においては決して不利益にならないという信念を持ってゐる」と述べた。この町長の説明のあと議場に全員賛成の流れができて、採決の結果満場一致で原案が可決された。

 この時の市制実施議案の提出理由には、「昭和二十三年常住人口調査の結果は人口三万百十人に及び、昭和二十四年府営住宅百余戸の建設と移住者逐次増加の趨勢(すうせい)によって最近の戸数六千七百十一戸、人口三万七百四十七人」とあり、官公署は「南河内地方事務所、富田林税務署、国家地方警察大阪府南河内地区警察署、富田林町警察署、富田林簡易裁判所、富田林区検察庁、法務局富田林出張所、府立富田林保健所、富田林郵便局、その他官公署を合せて十四」と記されている。さらに、「大阪府立富田林高等学校、同河南高等学校、大阪第二師範学校女子部等の学校があり、その他社会衛生施設等も具備し、都市的形態を充分に備えてゐると共に自他共に許す南河内郡における政治、教育、経済、産業の中心点である」と書いたうえで、「ここに市制を施行し、町民の溌刺(はつらつ)たる気分の下に更に諸施設の完備を期し、以て近代的衛星都市として将又(はたまた)文化都市として住民の福利増進」を図りたいと述べていた。

 ところで、戦前からの大阪府内における市制実施のあとをたどってみると、明治二一年(一八八八)四月公布の市制・町村制によって、翌二二年四月、府内に二市一二町三一〇村がつくられた。二市とは大阪市と堺市である。富田林市域の自治体は、この時すべて村であった。府内で三番目の市としての岸和田市の誕生は、大正一一年(一九二二)一一月であった。このように、明治大正期には市制実施はわずかであったが、昭和一〇年代に新市誕生ブームといえる現象が起こり、昭和一一年一〇月豊中市、一二年四月布施市、一四年四月池田市、一五年四月吹田市、一七年四月泉大津市、一八年一月高槻市、一八年五月貝塚市が誕生した。そして、戦後昭和二一年一一月に守口市、二二年八月枚方市、二三年一月茨木市、二三年四月八尾市、泉佐野市と続き、二五年四月一日に府内一六番目の市として富田林市が生まれたのである。富田林市の場合、他町村との合併によらない単独での、市制実施であった。

 『朝日新聞』昭和二五年四月一日付は、「富田林市きょう発足」の見出しで「商店街では記念大売出しをするほか小学生の旗行列など多彩な祝賀行事を計画している」と報じ、主な行事として、一三日午前一〇時から市公会堂で祝賀式、一三日から一五日まで元芝浦富田林工場で市商工会主催の郷土特産工芸品(竹籠、グラス・ボール、繊維製品)展示即売会、大阪府と富田林市の共催による農機具実演展示会、牛の品評会、農業相談所の設置、移動演芸団による昼夜興行、一六日正午から富田林小学校講堂においてBK(NHK大阪放送局)の祝賀のど自慢大会の実施、を挙げていた。富田林・新堂・喜志・川西・彼方の各小学校の「沿革誌」には、市制実施祝賀旗行列に参加したことが記されており、『富田林市誌』は「紅提灯に趣向をこらした商店街の華麗な路を市内小中学校の生徒児童が手に手に祝富田林市に日の丸の手旗をかざして練り歩いた」と記している。四月一三日の市公会堂における祝賀式には、大阪府知事赤間文三・大阪府議会議長亀井喜代丸・衆議院議員田中万逸らが出席し、それぞれ祝辞を述べた。

写真128 市制施行当時の市議会議員 (昭和25年4月13日、市制施行祝賀記念式典)

 市章には、昭和一七年一〇月一日制定の富田林町章がそのまま用いられた。市章は富田林の頭文字の「富」(トミ)をイメージしたもので、片仮名の「ト」を三つ重ねて「トミ」を表わし、「ト」の先端を矢のように尖らせてデザインすることによって、広く発展するという意味が込められていた。市歌は、市制実施半年後の九月三〇日に制定された。市歌の作詞者は三和銀行富田林支店に勤務していた中谷善次、作曲者は富田林高等学校教諭だった野口源次郎であった。市歌には、金剛の峰の緑と石川の水に抱かれた富田林市が、新しい時代の河内野の都市として豊かに伸びゆく姿が歌われていた。

  市歌

    一

この朝(あした) 仰ぐ金剛

平らけき 河内野の果て

むらさきに 匂う峰より

さし昇る 朝日子の影

見よ 今日の 見よ 今日の我等の姿

ああ 躍進す富田林市

   二

この夕(ゆうべ) 渡る石川

水清く 七瀬(ななせ)に絶えず

指す方は 海の八重潮(やえじお)

外国(とつくに)の 岸をも洗う

見よ 明日の 見よ 明日の我等の心

ああ 清新の富田林市

   三

美しき 山川ありて

豊なる 野山の幸と

受けつげる 文化の華と

新しき 産業の実(じつ)

見よ 高き 見よ 高き我等の理想

ああ 繁栄す富田林市

図2 富田林市市章