市制実施前後における国政レベルの選挙について述べると、まず第二次吉田内閣下の昭和二四年(一九四九)一月二三日の衆議院議員総選挙では、大阪第四区で得票順に松永仏骨(民主自由党)、加藤充(日本共産党)、田中万逸(民主自由党)、久保田鶴松(日本社会党)が当選した。共産党が議席を得、民主自由党が二人当選、社会党がかろうじて一議席を確保、民主党の敗退という第四区の結果は、二四年総選挙の縮図であって、片山・芦田両内閣への国民の厳しい審判であった。表88は、富田林町と東条村における各候補者の得票数を示したものである。これをみると、市域においては富田林町出身の田中万逸が圧倒的に強く、当選した日本社会党の久保田鶴松がまったくふるわなかったことがわかる。
氏名 | 党派 | 総得票数 | 富田林町での得票数 | 東条村での得票数 |
---|---|---|---|---|
松永仏骨 | 民主自由党 | 66,872 | 2,203 | 177 |
加藤充 | 日本共産党 | 43,010 | 1,964 | 58 |
田中万逸 | 民主自由党 | 31,609 | 4,959 | 454 |
久保田鶴松 | 日本社会党 | 24,434 | 570 | 78 |
喜多楢治郎 | 民主党 | 23,061 | 988 | 146 |
鈴木愛之助 | 民主自由党 | 22,977 | 713 | 56 |
叶凸 | 社会革新党 | 13,919 | 295 | 13 |
滝川末一 | 日本社会党 | 9,915 | 498 | 20 |
玉島照波 | 無所属 | 4,823 | 150 | 3 |
小池十太郎 | 新自由党 | 4,443 | 132 | 5 |
注)上位4人が当選。
第三次吉田内閣下の二七年一〇月一日の衆議院議員総選挙では、大阪第四区で得票順に杉山元治郎(日本社会党右派)、大倉三郎(自由党)、田中万逸(自由党)、久保田鶴松(日本社会党左派)が当選した。この時も富田林市では田中万逸が圧倒的に強く、得票数第一位五八五五票、得票率四二・一%であった。そして、当選した社会党右派の杉山元治郎(一三九二票)、同左派の久保田鶴松(八四〇票)よりも、富田林市では落選した改進党の中野善兵衛(二四八九票)と自由党の曽和義弌(一五〇四票)の得票数が多いという特徴がみられた。
第四次吉田内閣下の二八年四月一九日の衆議院議員選挙では、大阪第四区での当選者は、得票順に杉山元治郎(日本社会党右派)、田中万逸(自由党)、久保田鶴松(日本社会党左派)、松永仏骨(自由党)の四人であった。この時の富田林市での得票順位と得票数は、一位田中万逸(五九七〇票)、二位杉山元治郎(一七三八票)、三位久保田鶴松(一二一九票)、四位松永仏骨(九二〇票)であった。
参議院議員選挙大阪地方区の結果についてみると、二五年六月四日の通常選挙では大屋晋三(自由党)、村尾重雄(日本社会党)、左藤義詮(自由党)、二六年五月一六日の補欠選挙では中山福蔵(緑風会)、溝淵春次(自由党)が当選した。表89は、二五年の第二回参議院議員選挙当選者の大阪府全体での得票数と富田林市における得票数を示したものである。大阪府全体での得票数は、社会党の村尾重雄が自由党の左藤義詮より約一万票多かったが、富田林市では、村尾よりも左藤の方が約一〇〇〇票多かったことがわかる。
氏名 | 党派 | 総得票数 | 富田林市での得票数 |
---|---|---|---|
大屋晋三 | 自由党 | 330,102 | 3,812 |
村尾重雄 | 日本社会党 | 295,143 | 1,501 |
左藤義詮 | 自由党 | 286,301 | 2,476 |
三谷秀治 | 日本共産党 | 182,209 | 1,086 |
中田守雄 | 国民民主党 | 103,395 | 825 |
ふるた覚成 | 無所属 | 68,766 | 666 |
山田庄太郎 | 世界連邦期成同盟 | 24,850 | 332 |
星川明道 | 無所属 | 5,006 | 29 |
注)上位3人が当選。