戦後の地方政治が急速に中央集権化の方向にもどされていったのは、すでに述べたように昭和二七年(一九五二)にサンフランシスコ講和条約が発効してからであり、三一年までの四年間で一連の手なおしはほぼ完了した。行政制度面での中央集権的改革としてもっとも重要なのは、昭和二九年の改正警察法と三一年の新教育委員会法であり、いずれも国会審議は大荒れに荒れ、乱闘、警官導入、強行採決という異常事態の中で成立した。前者によって、自治体警察と国家地方警察が廃止されて都道府県警察に一本化し、新設された警察庁を頂点とする強力な中央集権的警察制度が確立された。また後者によって、教育委員の直接公選制が首長による任命制に改められるとともに、教育長の任免権を通じて中央政府―府県―市町村の上下関係がつくられたことで、教育行政の中央集権化が行われた。
『富田林市広報』昭和二九年七月二七日付第四三号は、「市警察署の廃庁式」の見出しで、新警察法が七月一日から施行されたのにともない、二三年三月に設置された富田林市警察署が六月三〇日をもって廃止されることになったと記し、三〇日午前一〇時から警察署道場で廃庁式が挙行され、午後は公会堂で懇談会が催されたと報じた。同じ紙面には、尾崎茂一市長の「市警察署の廃庁に寄せて」と、関田政雄富田林市元公安委員長の「市警察の廃止に際して」と題する文章が掲載された。尾崎市長は、市警察署の「献身的活動によつて本市の治安秩序の維持は充分に確保」され「民主自治警察の本領」が発揮されたと述べ、関田元公安委員長は「われらの警察として親しまれてまいりました」市警察署の廃止は「警察の民主的な運営のためその管理に当つてまいりました公安委員会としても感慨無量」と書いた。さらに関田元公安委員長は、「公安委員会が政府の警察制度改正企図に反対して、あくまでその存続発展のため努力してまいりました従来の市警察の特徴」と、「今回誕生いたしました府県警察の性格について考察を加えておくことは、わが国の民主主義の将来のために無駄ではない」と記したうえで、次のように述べていた。
能率を主とすれば権力的ならざるを得ず、人間の尊厳を最高度に維持しようとすれば、非能率と軟弱のそしりを免(まぬが)れない。この二つの相反する原理を調和するためにわれわれは懸命の努力をいたし、ややその目的を達したかと思われる点までこぎつけました。
警察は金を食うとの非難は、政府の財政の措置が宜しきを得なかつたからであって、これは警察の罪ではありません。事実、独断専制の政治を排するための民主的機構はいずれも金と時間を要するものであります。この種の金を惜しむことは、民主主義の原理を捨てることであります。
警察の民主的機構と民主的運営こそわが国の民主主義を護持するもつとも大切な鍵である。警察が昔の権力的なものになるときは、民主々義は重大な脅威を受けねばならない。公安委員会が今回の改正に最後まで反対してまいりましたのは、この信念に外なりません。
右の文に続いて、富田林市元公安委員長は府県警察の性格について記したあと、「われわれは市警察を維持した経験を生かし新警察が真に府民の警察として健全な発展をとげ、その運営が民主的な基底を崩すことなく能率的であるよう十分の注視を怠つてはならないと思います」と述べていた。
新教育委員会法は昭和三一年六月三〇日に公布され、一〇月一日から施行された。『広報とんだばやし』昭和三一年一〇月二九日付は、「新教育委員会法」と題する記事を掲載し、「改正の要点」として、「教育委員」「教育長」「権限と事務」「文部大臣の措置要求」などについて記した。富田林市教育委員会は、これまでと同じ五人の委員で構成されたが、その選任方法は市民の公選ではなくなり、市長が市議会の同意を得て任命することになった。教育長は従来一定の資格者につき委員会が任命したが、今度は委員の中から適任者を選び委員会が府教育委員会の承認を得て任命することになった。権限と事務の重要事項のいくつかが、他の機関に移された。たとえば財政事務、教育財産の取得処分、教育関係事項の契約、教育予算の編成、収入支出の命令等は、市教育委員会の申し出や意見をきいて市長が行うことになった。従来、文部大臣は市の教育行政に対して消極的立場にあったが、今後は指導助言などを強く行えるようになった。