市の財政

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戦後の民主改革の中で、地方自治体には大きな権限が与えられたが、それにみあう財源は保障されなかった。六・三制による義務教育の拡大、自治体警察の創設維持などは、市町村にたいへんな財政的負担となった。それにもかかわらず、地方税は国税総額の三分の一にすぎなかった。だが政府は、地方財政の赤字を「地方財政法の明示する財政運営の基本的原則を忘れた財政運営」(自治庁次長通達、昭和二九年六月一九日付)、つまり放漫財政にあると決めつけた。そしてこの赤字解消を主要な理由にして、二九年(一九五四)の自治体警察の廃止、三一年の教育委員会の公選廃止が行われ、自治体の権限が縮小された。税財政面でも中央集権化が進み、昭和二九年の税制改正と地方財政平衡交付金の地方交付税への改正は、二八年以降の不況下の地方財政に深刻な影響を与えた。

 昭和二九年度決算では、全国的にみて、地方財政は約六五〇億円の赤字を出した。国本位の税財政制度や、国の委任事務などの義務的経費が増えたにもかかわらず、国がその裏づけをしなかったことが、地方自治体の財政をいっそう悪化させた。このような国の方針は、自治体の事業縮小、行政水準の切り下げ、人員整理をまねき、地方行政の苦難期をもたらした。こうして三〇年末に地方財政再建促進特別措置法が成立したが、この法律の適用を受けて財政再建団体となることは、経費の節減、地方税の徴収強化や増税などを強制され、自治体の自主的運営がそこなわれることを意味した。

 『広報とんだばやし』昭和三一年六月一八日付第六四号は、「地方財政再建促進特別措置法とは」の見出しで、二九年度地方公共団体決算で「道府県では七四%に当る三十九府県、市の七一%、町村の三四%と総数二千二百五十二団体が赤字」となっていると記したうえ、地方財政再建促進特別措置法による財政の再建方法として次の三点を挙げている。

①政府の財政援助をうけて再建を行うため財政再建計画について自治庁の承認をうける。

②政府の財政援助はうけないけれども財政再建計画について自治庁の承認をうける。

③政府の財政的援助も、計画の承認もうけず、自力で再建する。

 右の文章に続いて、地方財政再建促進特別措置法により、「赤字団体は一定額以上の寄附金を支出することができなくなり、特に支出しようとする時には自治庁長官の承認」を要することになったと記し、富田林市は②の方法により「赤字解消に努め、再建を図るべく邁進(まいしん)」していると述べていた。

 表90は、市政が実施された昭和二五年度から三七年度までの富田林市の各年度一般会計歳入歳出決算を示したものである。『朝日新聞』昭和二九年七月三一日付は「34年度には黒字へ 富田林市の赤字解消計画決る」の記事を掲げ、「同市の赤字は二十六年度八百万円が、災害復旧と庁舎新築で二十七年度は二千七百七十八万円にはね上った」と記したうえで、「二十九年度は当初予算で赤字は九千九百万円だったのを、消費節約により八千二百二十万円におさえ、同年度を赤字解消の第一年度とし、今後は維持修繕費の節約と高給老年者を退職させ、若い者に代えることで、三十一年度の赤字千三百二十四万円、三十二年度四百五十四万円と引下げ、三十三年度には赤字を解消、三十四年度に黒字百万円を見込む計画」と述べていた。だが不思議なことに、表90では二六年度一〇六万八〇〇〇円、二八年度が四三六万四〇〇〇円、二九年度二六万二〇〇〇円、三〇年度が三五万八〇〇〇円の黒字となっている。それでいて、先に掲げた『広報とんだばやし』昭和三一年六月一八日付第六四号では、「赤字解消に努め、再建を図るべく邁進」していると報じていた。

表90 富田林市の一般会計歳入歳出決算額

単位:千円

年度 歳入 歳出 歳入出差引残額
昭和25 82,761 82,753 8
26 95,931 94,863 1,068
27 145,278 173,058 -27,780
28 184,740 180,376 4,364
29 164,585 164,322 262
30 155,789 155,431 358
31 152,831 156,898 -4,067
32 179,420 177,512 1,908
33 189,121 196,850 -7,729
34 225,050 254,424 -29,374
35 239,838 294,642 -54,804
36 326,084 386,791 -60,707
37 503,050 541,196 -38,146

注)「富田林市歳入歳出決算書」から作成。

 『朝日新聞』昭和三一年五月三〇日付は、「富田林は準適用申請に決る」の見出しで、「二十九日臨時市会を開き、財政再建促進特別措置法について審議した結果準適用を申請し、赤字公債によらず赤字約二千万円を三カ年で自主再建による解消を行うこととなった」と報じ、同紙三一年一一月七日付は「赤字一二〇〇万円を解消 富田林が三ヵ年計画で」と記している。『朝日新聞』昭和三四年五月三一日付は、富田林市の三三年度決算で「千四百万円の赤字」と報じ、「三十三年度に公営住宅建設費、東条保育所、東条小学校講堂新改築、人件費増額(ベースアップ、超勤手当完全支給)などのため三千四百八十万円にのぼる追加予算を組み、一般財源として一千九百万円を見込んでいたが、地方交付税、一般税収で一千万円の減収になったほか、当初予算に組込まれていたPL教団からの寄付金、競馬競輪などの事業費などでも四百七十万円の欠損となったもの」と記していた。この記事が報じた三三年度の赤字額は、一四〇〇万円である。同年の富田林市一般会計決算報告の赤字額は七七二万九〇〇〇円だったから、新聞報道よりも約六三〇万円低い額になっていた(表90)。

 『朝日新聞』昭和三六年二月一五日付は、「赤字に悩む富田林市 再建団体に指定を 市長自治省に窮状を説明」と報じ、「同市の赤字は三十三年度千四百万円、三十四年度二千九百万円と年々ふえる一方で、三十五年度は約五千万円にふくれあがるものと財政担当者はみている」「政府は三十六年度から極端な赤字団体には起債を許可しない方針なので、同市は今後の財政運営はもちろん、サービス事業も満足にできない見通しとなり、赤字再建団体申し出に踏み切ったもの」と記していた。昭和三六年に、富田林市は財政再建促進特別措置法による財政再建団体となったのである。その二年前の三四年度と前年度の三五年度の富田林市一般会計決算報告の赤字額は、新聞報道の額と一致している。