昭和三二年(一九五七)四月、富田林市職員労働組合を中心に、南河内教組富田林支部、近鉄労組など、富田林市内に所在する労働組合によって、富田林地区労働組合連合協議会(地区労)が結成された。これにより、富田林市内で働く労働者の連携が強まり、平和と民主主義、労働者と地域住民の生活と権利を守る運動が、より地域に根差したものとして進められた。そして、この年の五月には、地区労主催による富田林市で初めての地区統一メーデーを実現し、八月には富田林市で初めての原水爆禁止大会が開催された。
富田林におけるメーデーは、昭和三一年に富田林市職が単独で開催していた。しかし、富田林市域における工場・事業所の増設とそれにともなう労働者の増加、そして市内各労働組合単組の連携推進を目的とした地区労の結成などにより、労働者の祭典を自分たちの市で開催しようという気運が生まれ、翌三二年には、富田林で初めての地区統一メーデーが開催された。五月一日午後三時三〇分、市公会堂には、地区労参加の組合員を中心に、富田林市内で働く多くの労働者が集まり、五時からのデモ行進では、プラカードを掲げた鉢巻き姿の参加者およそ五〇〇人が、気勢を上げた。
翌三三年の地区統一メーデーでは、四月三〇日夕方五時より、富田林市職が中心となって、市公会堂において前夜祭を開催し、一日当日には、地区労加入単組をはじめ、南大阪町職(現羽曳野市職)、松原市職の参加もみられ、参加人員が前年度の倍にのぼり、その数は一〇〇〇人を超えた。
さらに三四年には、かねてからの念願であった中小企業で働く労働者の参加が実現し、また前年にひきつづいて松原市職の参加などもあり、富田林地区統一メーデーは、名実ともに地域で働く労働者の祭典となった。