勤労協の結成

515 ~ 517

勤評・警職法反対運動の波や原水爆禁止運動の盛り上がりが全国的に広がる中、封建色の強かった富田林においても、昭和三二年(一九五七)四月に地区労が結成されたが、これによって市内の労働組合員の連携が密になり、富田林市内で働く労働者たちは、地区労を通したさまざまな運動に取り組む中で、労働者としての権利に目覚め、自分たちの暮らしを守るためには連帯がいかに重要であるか、ということを痛感するようになった。しかし、富田林においては、労働組合の共闘組織としての地区労の結成はみたものの、市内に住む勤労者全体のための組織はなかった。そのため、昭和三二年秋ごろから、市内に居住する勤労者の福利増進を目的とする団体組織結成の気運が、一部勤労者の間で盛り上がってきた。

 また、昭和三〇年ごろまで行われていた納税報償金制度(市民の中で市税を納期に一日も遅れず完納している勤労者に対して、年間約七%の税を還元する制度)が、税法の改正により廃止されたため、地区労は、その代わりとして勤労市民に対する何らかの施策を講ずるための予算を計上するよう、市理事者に要求した。それとともに、その予算の受け入れ団体が必要となった。

 そのような背景から、市内に居住する勤労者と在勤者の福利を増進するための組織の結成準備が始められた。昭和三三年二月一四日、市役所日本間において第一回結成準備委員会が開かれた。その後、委員会での討議を数回重ねた後、八月一七日結成総会が開催され、約四〇〇〇人の会員を抱える「富田林市勤労者協議会」(勤労協)が発足した。初代会長には仲谷健一(市議、近鉄労組書記長)が選ばれ、諸役員ならびに予算、規約、運営方針などが決定された。組織は、市内八一町会を単位に地区制をとり、各町会から一人の幹事を出し、幹事の中から常任幹事を選出して会の運営に当たった。

写真141 富田林市勤労者協議会結成総会

 勤労協が行った具体的な活動としては、市内の各駅付近九か所に配置された置き傘の会員への無料貸し出しや、市内映画館の入場料の割引などが挙げられる。また、勤労協は、市から毎年四〇万円の助成金を支給されていた。