市民共闘会議

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富田林市では昭和三三年度、三四年度と赤字が増え続け、三五年度には五〇〇〇万円にのぼると見込まれたことから赤字再建団体の申し出をし、三六年度から赤字再建計画を実施することになった。市は三六年度予算編成にあたり、水道料金の五割値上げ、固定資産税のうち家屋に対するものの三割値上げ、幼稚園・保育園の統廃合といった方針を打ち出した。これまでも、住民共闘の重要性を唱え、市民アピールを何度も行っていた富田林市職は、市がこのような方針を打ち出したことを知ると、ただちに地区労、勤労協に連絡した。

 勤労協では、このころには市政対策部が置かれており、市職から出ている常任幹事を中心に、市の行政の調査を進めてきていた。市職や一部市議からの連絡に応じて、勤労協ではただちに常任幹事会を開き、会員の日常生活に直接響いてくる公共料金値上げ反対を決議するとともに、市内各種団体に呼びかけて全市的な運動を展開することにした。そして、勤労協、地区労、婦人団体協議会、青年団体協議会、清風会、身体障害者福祉協議会、富田林市政研究会、部落解放同盟富田林支部、理容師会、美容師会の一〇団体が参加して「市民の生活を守る共闘会議」(市民共闘会議)が結成され、議長に勤労協の会長が選ばれた。

 市民共闘会議は、ちょうど、ベース・アップの決定闘争で連日市理事者と団体交渉を重ねている市職の闘争と並行して、市理事者と市議会代表に対して団体交渉を行い、市民生活をおびやかす財政再建はやめるように訴えた。その結果、家屋の固定資産税三割引き上げは一割に下げたが、他のものについては満足な回答を得られなかった。さらに、継続審議となっていた水道料金の五割値上げが決定されたことに続いて、六月上旬にはごみ処理手数料とし尿処理手数料の一〇割値上げ、市内八か所の幼稚園の統廃合などが発表された。このため市民共闘会議では反対請願を市議会に提出することを決めた。

 また、新聞折り込みの市民アピールの発行や公共料金値上げ反対の市民大会開催などで運動を繰り広げ、最終的には八六〇〇人の署名を集め、提出された請願書は、昭和三六年六月三〇日の市議会で採択された。その結果、水道料金についてはすでに前議会で決定されているので値上げの時期を二回にわけ、あとの一回の値上げについては考慮することになり、し尿処理手数料、ごみ処理手数料の値上げも、一〇割を五割に下げ、幼稚園の統廃合はしないことになった。しかし、市民共闘会議では、この回答でも不満であることを市民にアピールし、今後も他の市民要求を取り上げながら財政再建が市民へしわよせにならないよう、「市民共闘会議」を改組し、個人参加を含む「富田林市民生活を守る会」に発展していくことを決議した。