各種選挙

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ここで、昭和三八年(一九六三)から五〇年までの一二年間、すなわち西岡実・潔が市政を担当した時期の地方選挙の状況をみることにするが、まず四二年までの結果をみよう。

 昭和三八年四月一七日には、大阪府知事と府議会議員の選挙が行われた。知事には四人が立候補したが、事実上は現職の左藤義詮(自由民主党)と小畑忠良(革新無所属)による、前回に続く一騎討ちとなった。結果は、左藤が一二九万二九三九票を得て、小畑に二四万三〇二九票の差をつけて再選された。富田林市での両者の得票数をみると、左藤一万一三七八票、小畑七三四三票であった。富田林市選出の府議には沢田武治(自由民主党)が再選された。

 同年四月三〇日の市長選挙で西岡実が初当選した。同日の市議会議員選挙では、削減された定数二三人(旧定数三〇人)に対し二五人が立候補し、現職一四人、元職一人、新人八人が当選した。党派別当選人は日本社会党一人、日本共産党一人、公明政治連盟一人であった。創価学会を母体とした候補者が公明政治連盟として当選したのであるが、翌三九年一一月に公明党が結成されるとともに、公明党を名乗るようになった。

 四年後の昭和四二年四月二八日、西岡実が無投票で市長に再選された。この日の市議会議員選挙では定数二三人に対し三三人が立候補した。当選者の党派別は公明党三人、社会党一人、共産党一人、ほかの一八人は無所属であった。

 これより先、同年四月一五日の府議選挙は、藤本卯市(無所属)が一万一九〇一票で当選したが、対立候補の沢田武治(自由民主党)は一万〇四七一票を得ており、大接戦であった。同日の府知事選挙は、前回までとちがって社共両党による革新統一候補が実現しなかったため、現職の左藤義詮が独走態勢となり、一六六万七五五一票で三選された。社会党推薦の菅原昌人は三三万九九〇二票、共産党公認の村上弘は二六万〇六六一票であった。富田林市での得票は左藤が一万七六五二票、菅原が二五九一票、村上が一六三〇票であった。自民党の左藤は、社会・共産両党の候補者に圧勝したのである。