昭和三八年(一九六三)四月の統一地方選挙で現職の上辻大治郎を破って、富田林市長に当選した西岡実は「新市長の抱負」を次のように語った(『朝日新聞』昭和38・5・2)。
選挙戦を通じて市民に誓ってきたように市政内部の秩序づくりをまず手がけたい。これはもちろん人事を含めてのことだ。今度の選挙戦で一部市職員がとった行動については厳正に批判したい。市政という〝車〟の故障を直し、油をさしてスムースに動くようにすることが今の富田林市にはいちばん大切なことだと信じている。これからの課題としては市の赤字財政の再建があり、これをスローガンにしてきたのだから緊急の仕事としてこれをとりあげたい。
市長選挙に挑戦すること四度目にして宿願を果たした西岡実は、人事を含めての「市政内部の秩序づくり」を重視したのであった。そして、なすべき緊急の仕事として「赤字財政の再建」を挙げた。この時期の首長として、もっともなことであった。
四年後の昭和四二年四月の統一地方選挙は、西岡実が無投票で再選された。対立候補の名乗りがなかったのは、市長に就任してから、市の赤字財政問題に腕をふるい、府立知的障害者コロニー(金剛コロニー)や中小企業団地などの誘致、公共施設の鉄筋化を進めるなど、その仕事ぶりが評価され、「引き続きやってもらおう」とのムードが市民の間に広がったためといわれた。
対立候補がなく、当選が確定した段階で西岡実は「過去四年間は健全財政確立の基礎づくり、市役所内部の正常化など足元固めの時期だった」と振り返り、今後は「みんなで喜びをわかちあえる市政、均衡と調和のとれた市政、近代的教育文化都市の建設という三つの目標」を立て、「当面、誘致が決定している精薄者(知的障害者)のコロニーや中小企業団地の早期建設」「公共建物の鉄筋化や道路の完全舗装、広域ごみ処理場、市民会館の建設、こどものための各種施設の整備」「近く三万人の金剛団地が完成するなど、任期中に市の人口は倍増することになっており、これに対する長期施策」と、市政の当面の課題解決への意欲を示した(『朝日新聞』昭和42・4・22)。また、再選初登庁の五月一日、市役所前広場で市職員や支援団体など約三〇〇人を前に「とくにこの四年間は住宅開発で市の人口が二倍にも、三倍にもふくれあがるときだ。心してこの転換期を乗切りたい」「二期目は建設と飛躍を目標にする。道路、下水道、ゴミ処理など市民福祉を増進させるための仕事も山ほどあり」、そして「近鉄富田林駅前の整備」「市民会館の建設」「新市庁舎建設問題」なども挙げて、市政担当二期目の決意と希望を語った(同5・2)。