昭和四四年一二月七日を投票日として、富田林市の市長選挙が行われた。この選挙で、西岡潔は宿敵ともいうべき小山義一をおさえて再選された。当選が決まった一二月八日午後、西岡は次のように語ったという(『朝日新聞』昭和44・12・9)。
こんなに票が出るとは思わなかった。予想を上回る得票だ。こっちとしては、選挙違反問題などで他候補から集中攻撃を受けて非常にハンディがあった。しかし、財政再建を予定より一年早く切りあげたのをはじめ、南河内地方の共同ゴミ焼却場と市庁舎の建設にこぎつけたなど、これまでの仕事の実績を市民に買ってもらい、次への期待を寄せてくれたと思っている。
このたびの西岡潔の市長任期は、任期途中に退職しての再選であり、地方自治法第一四〇条第二項の規定により、退職時に残した任期だけとなり、昭和四六年八月までであった。そこで同年八月八日に市長選挙が行われ、西岡はほかの二人の候補を大きく引き離して三選された。
ここで昭和三八年から四九年にかけての富田林市助役を記しておく。三五年七月八日以来、助役の職にあった山際栄丸が三八年八月二一日に退職したあと、同年九月一八日に橋本正が助役に選任され、四〇年四月七日に退職、次いで飯山章夫が四〇年四月二〇日から四二年九月一五日まで、幸田治が四二年一〇月三日から四五年三月三一日まで、木口茂弥が四五年四月一日から四六年一一月一二日まで、中村善夫が四六年一二月一三日から五〇年九月二二日まで助役をつとめた。