立候補表明

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昭和五〇年(一九七五)七月七日、現職の西岡潔市長と前市立金剛中学校長内田次郎の二人が市長選挙に立候補を表明した。西岡は「市民とともに歩む市政」「しあわせを分かち合う市政」「くらしを豊かにする市政」「人づくりの市政」「差別をなくす市政」の五つの公約を発表し、過去四年間で公約はすべて実現したが、教育文化都市づくりは完全に終わっていないので「緑と太陽に恵まれた教育文化都市の建設」の充実をめざすと抱負を述べた。内田は基本政策として、「市民の声を大切にする明朗な市政」「充実した真の教育文化都市の創造」「計画的な都市整備と農業、商工業の振興」「ゆきとどいた社会福祉と市民の健康を守る」「全市民の願いを大切にする差別のない明るい町づくり」など六項目を掲げた。そして、内田は「いまの市政は、市民との対話を欠き、ゴリ押しの市政だ。こうした流れを変えるため私は一党一派に属さず、中立の立場で立候補、政策実現に取り組みたい」と語った(『朝日新聞』昭和50・7・8)。

 翌七月八日、公明党富田林支部は内田支持を明らかにした。内田の政治姿勢が同党の考え方と一致し、七日発表の政策も一致する点が多いので、支持を決めたということであった。次いで七月一二日、社会党富田林総支部は内田を支持すると発表した。内田の基本政策は社会党の政策に合致する点が多いので、支持を決めたとのことであった。

 このような公明党と社会党の動きとは別に、共産党富田林市委員会は六月一〇日、「富田林市政の刷新をめざす革新統一のよびかけ」を発表するとともに、公明・社会両党や市議会内の市民クラブ、黒田府政を支持する「革新府政をすすめる富田林市民連絡会」(二八団体参加)などに話し合いを申し入れた。しかし、共産党と内田陣営との間で政策、組織協定などで合意に達せず、七月二四日、共産党南河内地区委員長の稲光明宏が独自候補として立候補すると発表した。

 こうして三つどもえの争いになるかと思われた市長選であったが、その後の話し合いの結果、共産党、市職員労組、南河内教職員組合など二八団体でつくった「公正民主的な富田林をつくる会」は七月二八日、内田の選挙母体「みんなの富田林を愛する会」と共に「みんなの富田林を愛し、公正な富田林をつくる市民連絡会」を発足させ、内田の推薦を決定した。共産党の稲光は立候補を取り止めた。