七月三一日、焼けつくような猛暑の中で、富田林市長選挙が告示された。保守系の市民を中心とした「富田林市をのばす会」をバックに三期目をめざす現職の西岡潔候補と、保守から革新までの市民が参加する「みんなの富田林を愛し、公正な富田林をつくる市民連絡会」推薦の新顔の内田次郎候補の二人が炎天下で争うことになった。
告示の三一日、公明党富田林支部は内田候補の支持を取り消した。同支部によると、内田は公明党にいかなる政党団体とも政策協定はしないと約束していたのに、二八日共産党を含む「公正民主的な富田林をつくる会」と内田および「みんなの富田林を愛する会」との間で、政策協定などが調印された。これは信義に反し、信頼関係を保持できないというのであった(『朝日新聞』昭和50・8・1)。
昭和五〇年(一九七五)八月一〇日の富田林市長選挙の結果は、内田次郎の圧勝であった。内田次郎が二万一五三〇票、西岡潔が一万五〇〇五票、投票率六三・九六%であった。
八月二九日午前八時半過ぎ、内田次郎新市長は地元の人たち約二〇〇人が待ち受ける市消防本部前に現れ、約一〇〇メートルを歩いて市役所前に到着した。集まった市民を前に「公約を懸命に実現したい。(これからは)大声をあげて怒ってほしい」と述べた。以下、初登庁の様子を八月三〇日の『朝日新聞』の記事から抜粋する。
市役所の玄関では、約三百人の職員が出迎えた。市職労の「歓迎 みんなの力で明るい市政をきずこう」の横断幕も。女子職員らから花束を贈られ、ニッコリと白い歯をみせて庁内へ。そして市役所玄関からは「よろしく」「みなさんお願いしますよ」と職員に頭を下げ、市長室へ入った。
このあと、午後五時過ぎから市役所裏庭で開かれた職員全員集会で「みんなが手をつないで、一つの輪になって愛され、信頼される市役所にしようではありませんか」と呼びかけた。
この間、市役所で、初めて記者会見し「当面は清潔と刷新をモットーにして、民主的市政を実現したい」など今後の市政方針について次のように語った。
一、清潔はあらゆる分野にわたって市民の疑惑を招かないよう市民との相互信頼を深めること。また、刷新は人事刷新と庁内の明朗化をふくむ市政全般の再点検であり、住民自治の原点に立ち返って、清新な構想を樹立したい。
一、人事刷新では、機構改革を考え、その後、適材適所の配置をしたい。教育委員会については体制強化が第一で、フレッシュな教育委員会をつくりたい。
一、公約にあったように対話の姿勢を実現するため、公聴制度の再検討を考え、都計道路、川西・半田線建設について起こっている反対運動などについては、住民の意見を十分に聞きたい。
一、地方財政の硬直化は、保守革新を超えて全国的に自治体の共通の課題と思う。府と協調、超過負担の解消などを国に要望し、財源の拡充に努力したい。
以後、平成一五年(二〇〇三)四月まで四分の一世紀を越えて、内田次郎は富田林市長に七選され、長期の内田市政の時代が続いた。