中野町から若松町にかけての氾濫原に中小企業団地が完成、操業開始すると、それまでの水田の景観が広い道路に沿って配置された工場の建物、しきりに動く貨物車、農民とは異なる忙しげな動きの工場労働者など、地域の景観は変化した。文化景観上もっとも影響が大きいのは経済活動による変化であろう。
基本的に富田林市域は都市部と農村部に区分されるが、その活動は商業、工業あるいはサービス業にたいする農業という違いがある。卓越していた農業景観に代わって、都市的な景観が浸透するのに、計画的な工場団地の場合は個々の工場がばらばらに立地するよりはまとまりのある景観が形成される。
新堂地区の竹すだれ製造や富田林地区、喜志地区のグラスボール製造などの地場産業は現在では衰退したが、かつては、富田林市の個性的な景観要素であった(第四章第三節)。
商業活動でも変遷が見られる。堺町など旧寺内町内部から、近鉄長野線富田林駅と旧寺内町の間の隙間を埋める形で発達した駅前商店街に重心が移り、大型店の進出が駅周辺の景観を変えた。南海高野線金剛駅周辺あるいは新しい外環状線沿線が、上記の商店街とは異なる業種構成によって、別の景観を生み出している。