村落景観と農地の変化

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農村部の景観の変化も著しい。農地が減少し、都市的な建造物あるいは土地利用が侵入する。農家の建造物も、たとえば大和棟の優雅な切妻屋根の民家が各村に散見したものが消滅し、旧来の村落に隣接して、新しい建築様式の住宅が増加したし、住宅だけではなく、現代の農業に不可欠な建造物たとえば集荷場や倉庫なども新しい建材で建設されて、在来の民家群とは必ずしも調和しない要素が多くなった。

 農業景観からいえば、施設園芸の浸透、西板持を中心にした地域の農業用のハウスが、初期の油紙による保温栽培やビニールによるトンネルにとって代わったこと、ミカン園の変化などが典型的な例である。

 従来の村落景観に加わった新しい要素のうちもっとも顕著なものは道路である。市内各地域に通ずる道路のほか、いわゆる外環状線をはじめ数多くの幹線通過道路も建設された。これらの沿線はまず道路沿いにもっとも急激な変化を見せてきた(図10)。農地は住宅、工場のほか、商業・サービス施設・道路などに転用されたのである。

図10-a 景観の変化(昭和46年) 2万5千分の1地形図「古市」
図10-b 景観の変化(平成12年) 2万5千分の1地形図「古市」

 農地の転用は農地法によって厳しく規制されているが、昭和三六年(一九六一)には住宅地への転用が約九ヘクタール、その後毎年一一~一八ヘクタールであったのが、昭和四四年には、住宅地向け転用面積が一挙に約六〇ヘクタールに達した。この間に転用された農地は鉄道沿線に近接した地域に多く、山間部には少ない。その面積は住宅地に合計一六九ヘクタールのほかに、工場向けに一六ヘクタール、道路向けに約四ヘクタール、公園、学校などその他の目的に六八ヘクタールに達した(『富田林市総合計画策定資料』Ⅰ、農業委員会資料)。その後も農地転用は続いている。