いわゆる金剛団地は羽曳野丘陵西斜面の景観を一変させ、富田林市の都市としての性格をも変化させた。近鉄長野線沿線の富田林市の旧来の中核部分に比べて、羽曳野丘陵の西側斜面は、旧市内から見ればいわば遠隔の農村で、農業生産においてもその比率は小さく、農業は谷地田での一毛作田と、平野と丘陵の境界とみなされる傾斜変換線近くでの小規模な果樹栽培などが中心であり、石川沿岸での盛んな野菜生産とは性格を異にしていた。
住宅団地の大規模な開発は当然大型機械を使用するもので、それまでの宅地開発が大きな地形改変などあり得なかったのとは対照的に、山を削り、谷を埋めて地形を一変させた。住宅だけではなく、道路、学校も新設し、公民館、ショッピングセンター、医療機関、公園なども統一的な計画のもとに配置し、いわば新しい都市を計画的に建設するものである。
PLは羽曳野丘陵の分水界の主に西側に異質の景観を展開し、宗教施設のほかに、いわゆるPLの塔をはじめとし、遊園地、学校、ゴルフコースなどによって、里山と谷地田の景観を大都市圏郊外の景観に変容させた。