嶽山山地と東条丘陵の間には一般に約一〇〇メートルの高度差があり、嶽山山地の傾斜は大きく、谷は短小で、特に東側では比較的平滑な斜面を形成しているのにたいし、東条丘陵では傾斜は緩やかで、南北方向に何本かの浅い谷が延びている。
昭和三三年(一九五八)発行の二万五〇〇〇分の一地形図富田林図幅を基準に前後の状況、景観の変化を主題に比較してみる。明治四四年(一九一一)、大正元年(一九一二)発行の二万分の一地形図富田林と同狭山図幅は東条丘陵の一部をおさめているが、上佐備以南の地形図はまだ作成されていない。佐備川谷の段丘面と東条丘陵を開析する谷底は水田記号が卓越し、谷には数多くの小さい溜池が築造されているが、羽曳野丘陵のような大きな谷池は見られない。山地、丘陵の斜面下部には果樹園の記号が多い。丘陵の尾根には、針葉樹の記号が多く、マツ林とスギの植林が卓越していた。