高度成長期以前

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昭和三三年(一九五八)の富田林図幅で見ると、嶽山東斜面および北斜面では連続した果樹園の分布は昭和一〇年の図幅とほとんど変わらない。佐備川東岸および瀧谷不動明王寺以北の丘陵部でも、尾根の南向き斜面以外にも、傾斜が緩やかで日照が確保される場合は北に向かって延びる尾根上にも果樹園が分布している。旧東条村域から河南町、千早赤阪村域にかけてすべての尾根は果樹園化され、佐備川東岸の東条丘陵では、谷と尾根が複雑に入りこんでいるために果樹園の分布はやや分断された形になり、集合的な園地の規模は嶽山東斜面ほど大きくない。この丘陵地域では谷が浅く、斜面の傾斜が緩やかなために、果樹園と水田とが近接している。

 果樹園は嶽山西斜面では、嬉、横山、外子(げし)(伏見堂)にはほとんど見られず、伏見堂の丘陵部分に小集団があるのみである。斜面の東西での果樹園分布の違いは、水田面積の大小と谷の深浅の違いによる利用の難易の違いによる。