昭和五三年(一九七八)の図幅では、農業的土地利用にほとんど変化は見られないが、甘南備地区に建設された大規模な金剛コロニーは一部谷地田を潰廃している。清掃工場も機能は異なるが同様に公的なもので、住宅地からは遠隔の山間部に非農業的土地利用が進出し始めたことを意味する。さらに昭和六三年から体験型農業公園の整備が進み、平成五年(一九九三)に富田林市農業公園=サバーファームが開園した。これらの公共施設への交通、従来から富田林の圏域に属していた千早赤阪村への通行に資するための道路が建設あるいは拡幅された状況が佐備川流域山地の景観を変え、機能を変えてゆく条件がこの段階で整ったといえよう。