図23は平成七年(一九九五)の富田林市内における町丁字別の人口密度を示している。ここからは先の節で見た人口集中地区の展開プロセスと同様、金剛団地と近鉄富田林駅前を中心に両地区を結ぶ丘陵部で人口密度五〇〇〇人を超える地区がほぼ連続し、東南へは石川を越えて延びている。高密度な市街地としてもこの東西地帯が連担していることがわかる。また、富田林町以北は近鉄の東側にも帯状に人口密度が高い地区が連なる。市域西北の羽曳野丘陵上でゴルフ場などのある新堂地区と石川沿いを除けば、石川の左岸に当たる市域北部は全般に人口密度が高い。このうち石川に沿った部分は、中小企業団地として開発されている。これにたいして人口密度一〇〇〇人以下の農村部は、主に市域の南部にまとまっている。
次に町丁字別の人口動向を、昭和五〇~六〇年という市域の人口のもっとも急激な増加が一段落した時期で見ると図24のようになる。すでにこの時期において金剛団地の初期の開発地区である高辺台の一部などに人口減少地区が見られる。住宅の住み替え、人口の転出入がこの時期に展開していたこともわかる。また、寺内町地区など東部の旧市街地部ではいくつもの町で人口が減少している。南部でも人口減少が見られる。一〇%以上の人口急増地区は金剛団地の東部、国道三〇九号沿いに移り、この時期の住宅開発により、町丁の住居表示として向陽台などが大字廿山(つづやま)から分割され独立した。また石川谷の市域北部でも人口増加地区が散見される。