中小企業団地の建設

661 ~ 663

富田林中小企業団地は近鉄富田林駅東北の石川沿いに、昭和四一年(一九六六)に(財)大阪府中小企業団地開発協会による指定を受け(指定された富田林中小企業団地の範囲は、現在の若松町東三丁目、中野町東二丁目)、あわせて昭和四八年から五八年にかけて近隣の土地区画整理事業も行い建設された(写真173)。土地区画整理事業を行った範囲が現在の若松町東一~三丁目、中野町東一・二丁目、川面(かわづら)町二丁目に当たり、面積は六二・三ヘクタール、道路や公園、排水施設も整備され、都市計画上の用途地域指定では一部は住居地域だが、中小企業団地指定部は工業専用地域、土地区画整理事業の範囲が準工業地域にほぼ当たる。富田林市域ではここが唯一の工業専用地域の指定となっており、市域の近代的な工業活動などの中心ということがわかる。この企業団地には、大阪市平野区、東大阪市、八尾市、富田林市内など大阪府下より一二六社が移転し、昭和五七年以降操業を開始した。業種構成は、金属製品製造業を中心に、電気・機械、パルプ・紙製品製造業などである。計画的な郊外への経済活動移転の一例といえよう。以下、ここに移転してきた企業が富田林地域と、どのような経済的な結合関係、あるいは従業者の通勤などの生活行動面において結びつきを形成してきたのかを検討する。

写真173 富田林中小企業団地(右側が北)