一 通勤の変化

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 現代都市の活動は東京や大阪といった都市内にとどまらず、郊外を含めた大都市圏を単位とするものとなっている。こうした都市機能の郊外化は、二〇世紀の都市を特徴づけるものであった。大阪の周辺においても、明治末から郊外鉄道沿線の住宅開発が始まり、第二次大戦後、高度成長とともに郊外化は急激に展開した。とりわけ顕著なのは住宅開発であり、その結果として郊外から中心都市へ向かう大量の通勤・通学流動が発生してきた。したがって大都市圏の範囲を規定する重要な指標としても、この大阪市などの中心都市への通勤・通学率が利用されることが多い。というのは大阪通勤者が多い地域は、日常生活が中心都市大阪と一体化して展開していると考えられるからである。

 しかし、都市機能の郊外化は居住機能にとどまらない、大都市の過密や交通混雑、地価高騰を避けて、あるいは過密対策の規制の結果、工場や流通施設、大学などが、あるいは郊外で増加した人口を新たな市場として小売業が、次々と郊外に立地してきた。

 これは結果として郊外が都市の中心的な機能も持つようになることを意味する。次に見る商業のように、現在では必ずしも大阪都心まで出かけなくても、かつては都心商業地区でしか購入できなかったような商品も郊外商業地区で手に入るようになっている。そして、これらの諸産業が郊外に立地した結果、郊外居住者がこれらの事業所に通勤する場合も増加してきている。

 図29のグラフには富田林ほか府下のいくつかの市町村の大阪市への通勤率の変化を示した。千里ニュータウンなど住宅開発が早くから進んだ豊中市は昭和三〇年代から大阪市通勤率が高く、一時は仕事を持つ人の半分以上が大阪市へ通っていた。それにたいし富田林市は大阪市への通勤率が昭和四〇年代に急上昇する。これは金剛団地の開発をはじめとする宅地化の結果である。こうした南海高野線沿線の開発により堺市や大阪狭山市(当時は狭山町)もこの時期に急激な人口増加と大阪通勤率の上昇を見ている。しかし、その後豊中をはじめ各市の大阪市への通勤率は減少する。これは意外に思われるかもしれないが、郊外が就業の場として定着し、郊外間通勤が増加してきた当然の結果である。もちろんこれは比率であり、大阪市への通勤者自体がこの間減少したわけではないが、それよりもハイペースで郊外への通勤者が増加を続けたのである。なお、この間も農業や自営業などをはじめとする自市内での就業率は一般に低下を続ける。このような通勤先をめぐる動向については後で述べる。

図29 富田林市などの大阪市通勤率の変化

 その後もベッドタウンである泉北ニュータウンの開発が続く堺市は大阪市への通勤率が落ちないが、富田林市では昭和五〇年代から大阪通勤率は低下し、現在では堺市の方が人口規模では富田林市より大都市であるにもかかわらず、大阪市への通勤率は堺市の方が富田林市より高い。一方、さらに外側の郊外でその後に開発が進む河内長野市では、大阪市通勤率が昭和五〇年代以降も増加を続ける。太子町や河南町、千早赤阪村などでも同様の傾向を示すが、大阪市への距離が遠い分、大阪市通勤率は高くない。

 それではこのグラフの時期に大阪市への通勤圏はどのような広がりなどを見せたのであろうか。図30は平成七年(一九九五)の大阪市への通勤率を示す。通勤率が高いのは大阪府下をはじめ、阪神間から奈良県北西部の市町村である。現在は大阪市への通勤率が四〇%を超えるところはない。富田林市も昭和四〇年代後半には三五%を超えたが、現在は三〇%を割っている。

図30 大阪市への通勤率(平成7年)

 この間の大阪市通勤圏の変化は、昭和四〇年(一九六五)の大阪市通勤率の分布を示す図31と先の図30を比較することでよくわかる。

図31 大阪市への通勤率(昭和40年)

 この図31からは、この当時、北大阪を中心に大阪市への通勤率がきわめて高く、四〇%を超える地区が展開したことがわかる。先のグラフ(図29)に示した豊中市のほか吹田市や箕面市などである。しかし、先の平成七年の図ではこれら北大阪を中心とする地域の大阪市への通勤率は低下し、むしろこの間には南大阪、特に堺市から河内長野市にいたる南海高野線沿線で大阪市への通勤率が高まっている。このように北大阪に比べ宅地化の展開が遅れたとはいえ、南大阪の都市でも先のグラフで見たように、都市化の早い都市や小さな町から大阪市通勤率はピークを迎え、順次微減傾向となりつつある。一方、この間一貫して減少するのは農業などの自市区町村内就業者であり、大阪市に代わって通勤者が相対的に多くなるのは、他の郊外への通勤者なのである。

 表113は、富田林市に住む就業者の主な通勤先(就業地)がどのように変化してきたかを示している。昭和四〇年には半分以上が、農業や自営業など市内で就業していた。これが一〇年後には大阪市への通勤率が八%増加し、市民生活は強く大阪市に結びつくようになる。これは市域西部の金剛団地などの住宅開発による変化である。それと同時に、表の右欄を見ると郊外間通勤も八%弱の増加を示す。その後、大阪市通勤率は減少に転じるが、他の郊外への通勤率は増加を続ける。平成七年には市内就業者に匹敵する就業者が他の郊外に通勤するようになっている。このように都市化は、市民生活を大阪市のような中心都市に結合させるのみならず、郊外間の多様な相互流動も促進する。両者の大きな違いは、大阪市への通勤はバスや鉄道などの公共交通によって支えられるが、郊外間の移動は自家用車などに依存する点である。

表113 富田林市からの通勤先の変化

単位:%

市内就業率 大阪市通勤率 郊外間通勤率
昭和40年 56.2 27.9 15.8
昭和50年 40.8 35.8 23.2
昭和60年 38.7 30.8 30.1
平成2年 36.7 30.0 32.9
平成7年 35.7 28.8 35.2

注)各年次『国勢調査』より作成。

 なお、平成七年国勢調査によれば、富田林市には五万五四三五人の就業者がおり、そのうち市内で働くのが一万九七八三人、通勤先としては大阪市が一万五九五四人、それ以外で通勤者が多いところは、堺市が四四六四人、近隣の河内長野市や大阪狭山市、美原町、羽曳野市が約一六〇〇~一八〇〇人余りである。