農業が時間的、空間的に変化するのには、さまざまな要因がある。自然環境は地域農業にとってもっとも重要な条件であるが、技術的な進歩により人間の自然環境への干渉の度合いが増すことで、農業と自然環境の関係は変化する。したがって自然環境が農業にもたらす影響は時代によって異なる相対的なものである。技術は農業労働やその効率に影響し、そのことは経営の形態を変化させる。
経営の主体は農家であるから、農家の経営規模や保有労働力の大小、専・兼業の別あるいは後継ぎの有無など農家のあり方も、行われる農業に決定的な影響を及ぼす。地域の農家と農業は相互に強く影響しあうものである。また農家が単独でする行為よりも集団で行うことがより大きい意味を持つ場合も多い。
土地利用が基本的な自然環境あるいは農家の状況に影響されるとしても、その時間的な変化という点では、戦後の自給的な食糧確保が中心課題だった時代からコメ過剰の時代へ移り、都市の周辺部ではより商業性の強い近郊農業が支配的になり、さらに輸送園芸と呼ばれる都市の市場から遠く離れた産地での野菜生産が拡大し、果樹にしても大規模な専業経営による生産が支配的になってゆく(堀田忠夫『産地間競争と主産地形成』)。このような過程で富田林市域あるいは南河内地方の経済活動は、地域の農業に根本的な変化を強制する、より広域的な経営環境に支配されることになった。
以上は農業内部の問題と考えられるが、この地域の農業と農村に大きい変化をもたらしたいま一つの要因は、農業外の諸問題、特に都市化の進展であった。土地も人間の労働力も他の諸活動との共有の資源なのであり、その利用方法で、もはや農村においても農業が土地と人間を独占できなくなっている。第二次大戦終了直後の一時期を除いて、日本全体が都市化の影響を受け続け、富田林もその例外ではあり得なかった。
戦後の日本農業の場合、農業政策も大きな意味を持っていた。食料自給を目的とした緊急開拓の終戦直後から、農業構造の改善を目ざした昭和三六年(一九六一)の農業基本法、昭和四〇年代後半に本格化するコメの生産削減政策、地域特性を生かそうという昭和五五年のいわゆる新農政、国際的な農産物市場への参加などは、全国的な農政の展開であったが、富田林市の地域農業に大きな影響を与えた。
一方で、地域の変化は画一的に進んだわけではない。以上に要約したような農業の構造的変化と都市化の進展は確かに全国的な動きであったが、各地域のこれに対する反応はそれぞれの地域の地理的条件やそれまでのあり方の慣性あるいは地域の主体的な条件によってさまざまである。富田林市域でも、大阪府下の各地域でも、異なる発展方向、あるいは時間的な遅速という点で、一般的な現象と特殊な現象が交錯する。
この章では以上のような基本的な姿勢で、主として昭和二五年以降の「農林業センサス」に基づく統計的な分析によって、南河内地方と富田林市域の農業と農村の特質を考えることになる。言いかえれば、周辺の他の町村に比べて、現富田林市また市域の各地区はどのような特徴すなわち地域の個性を形成してきたのか、なぜそれらの違いが生じたのかということを明らかにする。