同じ一〇年間に、南河内地方の農家の経営総耕地面積の減少率は約三%で、大阪府平均よりも低かった。戦中、戦後に限界を超えて増加していた農家の減少、整理を見込めば、北西部を除いて、この地方では農業の構造的な変化はまだ浸透しなかった。旧富田林町では、わずかに減少したが、東条村では逆に増加した(耕地面積の単位については、昭和二五年当時の町が、その後、ヘクタールに変更されているが、依拠資料にしたがって、一町=一ヘクタール、一反=一〇アールとして、両単位を混用する場合がある)。
昭和四五年(一九七〇)以降に見られるような全町村一律の減少傾向ではなく、山麓地域での増加と都市圏に近接する地域での減少が対照的であった。果樹地帯においては、耕地面積の増加傾向が強く、農家数もわずかながら増加したか減少幅の小さい町村が多い。
旧東条村が郡内東南部の山麓地帯で耕地面積、農家数が増加した地域に属するのにたいし、旧富田林町は北西部・平坦地の減少地域と東南部の増加地域との中間に位置したと考えられる(図35)。