昭和五五年(一九八〇)から平成二年(一九九〇)にかけて、農家数の減少率が耕地面積の減少率を上まわり、平均経営規模の増大をもたらす。最大は駒ヶ谷村の九・七アール、約一九%の増大である。これは、農家のうちの小規模層が廃農したことで農家数が約一一%減少したのに、耕地面積は六%強増加した結果である。
大阪府全体の農家経営規模はきわめて零細であり、南河内地方でも、昭和二五年には、三反までの農家が平均で四一%を占め、農家の経営規模は中層以下に重心があった。
旧富田林町では、最下層がもっとも多く、旧東条村では比較的上層が多い。昭和三五年までの一〇年間に、南河内地方、旧富田林町、旧東条村では、最下層が農業を離れる一方、五~一〇反層がともに増加した(表115)。
南河内地方 | ~3 | 3~5 | 5~10 | 10~15 | 15~ | 東条村 | ~3 | 3~5 | 5~10 | 10~15 | 15~ |
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昭和25年 | 40.5 | 31.0 | 26.7 | 1.6 | 0.1 | 昭和25年 | 25.4 | 29.3 | 40.0 | 4.5 | 0.9 |
昭和35年 | 39.6 | 28.2 | 29.3 | 2.3 | 0.3 | 昭和35年 | 24.8 | 26.8 | 42.6 | 5.0 | 0.9 |
昭和45年 | 42.5 | 27.2 | 25.6 | 3.6 | 0.9 | 昭和45年 | 22.9 | 24.2 | 36.0 | 9.6 | 6.4 |
昭和55年 | 50.1 | 26.4 | 19.7 | 2.8 | 0.6 | 昭和55年 | 29.8 | 23.3 | 31.5 | 11.0 | 3.8 |
平成2年 | 48.6 | 27.8 | 20.4 | 2.5 | 0.5 | 平成2年 | 33.6 | 26.7 | 30.0 | 7.3 | 2.4 |
富田林町 | ~3 | 3~5 | 5~10 | 10~15 | 15~ | 駒ヶ谷村 | ~3 | 3~5 | 5~10 | 10~15 | 15~ |
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昭和25年 | 38.7 | 31.5 | 28.7 | 1.1 | ― | 昭和25年 | 16.1 | 26.5 | 50.2 | 6.6 | 0.5 |
昭和35年 | 37.8 | 26.2 | 33.5 | 2.2 | 0.1 | 昭和35年 | 23.6 | 30.8 | 42.9 | 2.5 | ― |
昭和45年 | 45.5 | 30.1 | 22.8 | 1.2 | 0.2 | 昭和45年 | 25.5 | 26.5 | 39.5 | 7.4 | 1.2 |
昭和55年 | 54.0 | 26.0 | 18.3 | 1.3 | 0.1 | 昭和55年 | 22.8 | 30.4 | 38.1 | 7.7 | 1.1 |
平成2年 | 51.4 | 28.6 | 18.5 | 1.5 | 0.1 | 平成2年 | 21.6 | 19.5 | 41.7 | 13.9 | 2.7 |
注)各年次『世界農林業センサス』より作成。
昭和三五年について各層分布のグラフを見ると(図39)、(1)両端が高く三~五反層が低い、(2)両端が低く三~五反層が高い、(3)三反以下層が多く右下がりになっている、(4)三反以下層が少なく右に上がっている場合がある。旧東条村は(4)の右上がり型で、比較的上層に重心があることを示し、駒ヶ谷村などもこれに当たる。
旧富田林町は両端が高い(1)両極分解型であり、都市化地域の一〇か村がこれに当たる。加賀田村(現河内長野市)と千早村(現千早赤阪村)が中高の(2)で中間層にまとまる型である。左から右に低くなる(3)は最下層収斂(しゅうれん)型で現河内長野市の各旧町村と北西部の多くの町村がこれに相当する。上層に重心がある(4)は昭和三五年段階で農業生産の可能性が大きい地域である。逆に(3)の旧町村は次の段階では多くの農家が農業を放棄する可能性が大きい地域である。
南河内地方では、便宜的に三〇アール未満層を小規模層、三〇~五〇アール層を中規模層、五〇~一〇〇アール層を大規模層と考えてよいだろう。旧富田林町の場合、この地域における小規模層である三〇アール未満層と大規模層である五〇~一〇〇アール層は南河内地方の変化とほとんど正確に平行して進み、中規模層の三〇~五〇アール層の場合は昭和三五年から四五年の変化に地域による違いが大きい。
しかし、旧東条村の場合、昭和四五年と五五年には一〇〇~一五〇アール層に一五〇~二〇〇アール層を加えると、最大規模層が一五%近くに達している。東条村では地域平均に比べて駒ヶ谷村に次いで小規模層が少ないが、昭和四五年以後上昇し、平成二年には三四%になる。中規模層は平成二年にいたってやや増加するまで減少を続けた。地域平均でいう大規模層がここでは昭和三五年以来減少するが、平成二年になお三〇%を維持し、非常に大きい。
もっとも小規模層が多い地域であった旧長野町(現河内長野市。昭和二五年の三〇アール以下層=五一%)を追いこして旧富田林町で小規模層が増加したのにたいし、旧東条村は対照的に大規模層が旧駒ヶ谷村に次いで多い地域である。駒ヶ谷村で小規模層が少ないのにたいし、東条村の場合は小規模層、中規模層、大規模層の三類型の間にあまり差がなく、地域平均に比べれば、各層が均等に分布する地域となっている。