商工業・サービスなどがまだ回復あるいは発展しない昭和二五年(一九五〇)段階では、農業以外の就業機会が少なかったことを反映して専業農家の比率が全体として高い。昭和二五年以降、農業構造は急激かつ根本的な変化を経験し、兼業化が進行する(長谷川誠資「農家人口と兼業化」野尻重雄編著『農村の人口』所収)。
農家の専・兼業別区分については、専業=農業所得のみ、第一種兼業農家=農業所得が兼業所得を上まわる、第二種兼業農家=兼業所得が農業所得を上まわると考えてよいが、自己申告による分類で必ずしも厳密ではない。
昭和二五年には、旧富田林町の専業農家の比率は、南河内郡の中で、石川村(現河南町)、長野町、北八下村(現堺市・松原市)、白木村、河内村(ともに現河南町)に次いで六番目に高い。東条村=六三・六%も高い水準にある(図40)。しかし、富田林町の場合、当時の農業がほかに生活手段のない人々を一時的に大量に収容して専業農家化していたにすぎない。
南河内地方内での専業農家率は、農地面積が狭小かつ他産業就業機会が多い北部と北西部の都市化地域と南部の山村地域で低い。昭和二五~四五年の二〇年間に専業農家率が急激に低下し、その後平成二年(一九九〇)までは比較的変化が少ない。昭和四五年までに兼業化がほぼ完了していることを意味する(表116)。
昭和25年 | 昭和35年 | 昭和45年 | 昭和55年 | 平成2年 | ||||||
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専業 | 二種兼業 | 専業 | 二種兼業 | 専業 | 二種兼業 | 専業 | 二種兼業 | 専業 | 二種兼業 | |
大阪府 | 50.6 | 26.9 | 22.1 | 50.5 | 10.0 | 76.1 | 7.9 | 83.8 | 9.5 | 83.5 |
南河内地方 | 55.1 | 23.1 | 27.5 | 43.9 | 13.1 | 70.1 | 10.5 | 78.2 | 11.4 | 78.4 |
富田林町 | 67.1 | 16.1 | 35.1 | 34.8 | 12.2 | 78.2 | 11.1 | 76.5 | 10.7 | 76.4 |
東条村 | 63.6 | 20.3 | 47.2 | 20.1 | 23.2 | 49.7 | 13.0 | 65.8 | 18.2 | 71.7 |
駒ヶ谷村 | 65.2 | 8.1 | 59.9 | 13.6 | 47.3 | 24.0 | 40.5 | 36.5 | 32.5 | 32.2 |
石川村 | 72.1 | 11.4 | 35.0 | 28.5 | 17.2 | 49.8 | 13.9 | 70.8 | 9.0 | 76.6 |
高鷲村 | 43.6 | 22.3 | 30.6 | 43.1 | 13.2 | 71.1 | 7.5 | 86.8 | 7.3 | 82.0 |
注)各年次『世界農林業センサス』より作成。
専業農家率の推移を見ると、旧富田林町は大阪府や南河内地方より一〇%程度高い水準を保っていたのが、昭和四五年にいたってほとんど等しくなる。これにたいし、旧東条村では昭和四五年までは低下の度合いが小さかったものが、昭和五五年で南河内地方平均にほぼ等しくなり、大阪府平均との差は約五%に縮小する。
旧富田林町の第二種兼業農家率は南河内地方の平均的な動きと異なる。昭和四五年まで急上昇した第二種兼業農家率が昭和五五年以降はわずかながら大阪府平均や南河内地方平均よりも低くなる。
旧東条村の場合、昭和四五年までの専業農家率の低下、第二種兼業農家率の上昇は同じだが、兼業化の進行に約一〇年以上の遅れがある。専業農家率が昭和五五年には他の地域の平均に近づいたが、ブドウ地域の駒ヶ谷村と同じく第一種兼業農家が加わって農業が維持されていた。
旧駒ヶ谷村とブドウ栽培で駒ヶ谷村を凌駕(りょうが)することになる磯長(しなが)村(現太子町)では、労働集約的なブドウ栽培が農家の規模を抑制するので専業農家率が高く、駒ヶ谷村では平成二年で三五%と高い第一種兼業農家率がブドウ経営の実態を反映する(図41・表116)。
かつて野菜生産の中心で現河南町域の他の村とともに、昭和五五年までは高い専業農家率を示していた石川村は、耕地面積の減少率が大きく、その専業農家率は平成二年にはひとり南河内地方の平均以下に低下した。