水田に何も作付しなかった(不作付田)面積とイネではなく他の夏作物あるいは畑作物を作付した合計面積の水田総面積にたいする比率を示した(表117)。昭和三五年(一九六〇)はまだ食料自給が課題であったが、近郊では農地の転用が漸増し、昭和四〇年代後半に入って減反や転作が実施された。
昭和25年 | 昭和35年 | 昭和45年 | 昭和55年 | 平成2年 | |
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大阪府 | 0.2 | 0.1 | 3.6 | 7.2 | 7.9 |
南河内地方 | ― | ― | 2.7 | 6.2 | 9.9 |
富田林町 | 0 | 0.1 | 1.1 | 3.2 | 9.1 |
東条村 | 0.2 | ― | 1.1 | 5.5 | 8.3 |
長野町 | ― | 0.1 | 3.7 | 15.1 | 11.1 |
駒ヶ谷村 | 0.2 | ― | 5.5 | 0 | 8.2 |
石川村 | ― | 0.3 | 0.9 | 3.8 | 16.3 |
注)各年次『世界農林業センサス』より作成。
調査前の一年間、田にイネを作付しなかった割合は、昭和三五年まではまったく無視してよい大きさである。昭和四五年になるとわずかながら、田に作付のない場合が出現したが、大阪府平均に比べると南河内地方ではかなり低い。事例旧町村以外では、北部および西部の都市化が早い地域で率が高い。
旧富田林町と旧東条村のいずれも、この比率はもっとも低い部類に入り、零細層が多い富田林町では、飯米自給型で狭小な水田の利用率が高く、東条村ではミカン栽培に重点を置く中で狭小な水田の利用率が高い。
昭和四五年から本格化した生産調整による減反・転作で、昭和五五年以降、不作付率が急騰する。