田に夏作物あるいは畑作物を作付したというのは、水稲栽培の後退を意味するほかに、積極的に野菜を栽培する場合と消極的に転作奨励作物を栽培する場合があり、農業の勢いという点では、逆の方向が含まれている可能性があるが、この地域にあっては野菜類、イモ類、マメ類のいずれかを作付した。
ここでは昭和四五年(一九七〇)の数字のみ示したが(表118)、現河南町域では石川村を筆頭に、田にイネ以外の作物を植える率が各年次を通じて高い。これらの地区がいずれも野菜の集約的な産地であったことを示している。減反・転作開始後この数値が急上昇するが、河南町では転作以前から田での野菜作付が一般的であった。
農家数(戸) | 田面積(10a) | イネ以外のみ作付けた田 | ||
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面積(10a) | 比率(%) | |||
大阪府 | 65578 | 207590 | 7740 | 4 |
南河内地方 | 11010 | 34320 | 2230 | 6 |
富田林町 | 1818 | 6230 | 540 | 9 |
東条村 | 314 | 940 | 40 | 4 |
長野町 | 831 | 2440 | 50 | 2 |
石川村 | 227 | 1080 | 260 | 24 |
注)『1970年世界農林業センサス』より作成。
この指標は野菜地域である旧富田林町のほうが以前から高く、果樹地域である旧東条村では低い。野菜とイネの作付は互換性がありイネの縮小を野菜で補い得るが、果樹とイネの間では困難である。近年のイネ栽培の省力化によって、イネと野菜、イネと果樹の組み合わせ営農は可能であるが、野菜と果樹の組み合わせでは技術体系、装備、施設が異なり、ともに労働集約的で、保有労働力が弱体化した現代の農家では難しい。旧東条村の場合はミカン栽培の全般的な衰退と府営農地開発事業(第四章第二節三)の展開などが野菜の導入を盛んにした。