富田林での畜産の衰退

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畜産のうち、採卵鶏飼養については、昭和四〇年(一九六五)には四三〇戸を超えていた飼養戸数が、昭和四五年には八〇戸を割る一方、保共養鶏農業協同組合(昭和四四年で一八戸)と長吉養鶏農業協同組合(同一一戸)が中佐備地区東部に立地して、それまで零細・多数の飼養農家を主とした本市域を重要な養鶏地域とした。飼養羽数はこの間に、約一八万羽から約四〇万羽に増加して、少数飼養農家による大規模飼養の形態が確立した。昭和五〇年からは、飼養羽数は減少期に入り、三〇万羽を下まわっていたが、専業化した飼養戸数が特に五二年以降減少したために、昭和五五年の一戸当たり飼養羽数は一万五〇〇〇羽を超えた。その後も、卵価の低迷や悪臭などの問題があって、飼養戸数、飼養羽数ともに縮小を続け、平成二年(一九九〇)には、七戸、一八万羽となっている。この飼養羽数は大阪府全体の約二四%を占めて一位である。

 採卵鶏飼養は富田林市の農業粗生産額にたいして、昭和五〇年代前半では三〇%を超える年が多く、野菜に匹敵する重要な生産部門となっていた。

 乳牛の飼育は養鶏よりも、さらに小規模で、昭和四〇年の五五戸、約三八〇頭が、五五年には一五戸、二五四頭へ縮小した後、昭和六〇年には、一二戸、一七〇頭となった。平成二年には、六戸、九六頭で、一戸当たりの飼育頭数は増大したが、それも頭打ちで、大阪市近郊の都市型酪農の衰退と平行した傾向を示している(畜産基本統計、近畿農政局大阪統計情報事務所富田林出張所編集『富田林市の農業 昭和五七年』、富田林市『近代化する農業』)。