旧富田林町では、昭和四五年(一九七〇)に露地野菜が販売金額一位である農家が二四%で、施設園芸のそれは九%弱であったものが、昭和五五年には、露地野菜販売額一位の農家が一五%弱であるのにたいし、施設園芸一位の農家は一七%強とイネに続く二位の座が逆転した。平成二年(一九九〇)には販売金額一位農家の比率は、露地野菜が一九・七%であるのにたいし、施設園芸は二二・一%となっている。
旧東条村では、施設園芸農家が昭和五五年にはある程度増加、拡散したが、平成二年には二一戸に減少した。一戸当たりの施設面積は平成二年の二〇アール超へ拡大し、集中、規模拡大へ進んだ。
現河南町域の旧石川村、白木村で、昭和四五年段階から施設園芸が盛んで、富田林町に次ぐハウス面積を野菜栽培にあてていたが、昭和五五年には施設園芸農家、ハウス面積とも減少した。
いずれにしてもこの期間の旧富田林町の施設園芸は大阪府全体でも卓越した営農形態となったのである。
露地野菜の販売額が一位の農家と施設園芸の販売額が一位の農家の合計の比率は旧石川村、白木村、大草村で四〇%を超えて、旧富田林町と中村、山田村(現太子町)、古市町(現羽曳野市)、高鷲村、三日市村(現河内長野市)が三〇%台でこれに次ぐ(図45)。