昭和二五年(一九五〇)「農林業センサス」によれば、南河内郡内の果樹園面積は三六〇町歩である。最大は旧駒ヶ谷村の三六四戸=一一四町歩、次いで磯長村の三三六戸=六〇町歩、赤阪村の二五八戸=三五町歩、長野町の二二五戸=三四町歩、道明寺村の一八一戸=二二町歩、東条村の一六七戸=三一町歩、山田村の一二五戸=二二町歩などがあり、狭山村(現大阪狭山市)と埴生(はにゅう)村(現羽曳野市)や中村にもかなりの果樹栽培農家がある。栽培農家一戸当たりの果樹園保有面積は駒ヶ谷村の〇・三一町歩を最大として、〇・二町歩台に中村、高向村があり、そのほかに〇・一~〇・二町歩の規模を有するのが、東条村、富田林町、道明寺村のほか、主に山麓地域の諸村があった。総農用地面積に占める果樹園面積率は、駒ヶ谷村=四四%が卓越し、磯長村=二五%、東条村=一七%などに東部山麓の果樹地帯が成立していた。
ブドウは駒ヶ谷村の一一三町歩、隣接する磯長村の二三町歩などを中心に、山麓北部で南河内地方の栽培面積一五三町歩の九一%に達し、全国市場を有する大阪府下の大ブドウ地域を形成していた。西南部の長野町と狭山村は合わせて約九町のブドウ園を有し、周辺的な産地となっていた。
ミカンは昭和二五年に南河内地方全体の栽培面積が一二〇町歩でブドウよりは小規模かつ分散的であったが、赤阪村で三五町歩、東条村で三〇町歩、中村の一二町歩とで合わせて七七町歩に達し、これら山麓南部の佐備川、東条川流域の諸村で南河内地方全体の六四%を占めた。磯長村と山田村の三七町歩が北部の中心となっていた(図46)。
羽曳野丘陵周辺では、旧富田林町、狭山村、長野町の天野川流域の傾斜地に果樹園が点在していた。
ブドウと温州ミカン以外に、ナシが長野町で二六町歩、道明寺村ではナシ一〇町歩のほか、イチジクが約八町歩集中的に栽培されていた。各地に自給的な色合いが濃いカキがあったが、磯長村は約一〇町を栽培していた。