果樹栽培の地域構造の変化

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昭和三五年(一九六〇)には前項の分布に大きな変化が生じ、西に接するミカンの大産地である旧横山村(現和泉市)の栽培が波及したのか高向村で一町歩から二五町歩に急増した一方、山麓北部の磯長村と山田村では、ミカンが半減し、ブドウ園面積がそれぞれ三倍、二倍に増加した。この二村では、昭和四五年には再びミカン園が急増するが、昭和五五年以降は他のミカン地域に倍する減少を示した。

 磯長村では、昭和四五年にブドウ園面積が急増して、駒ヶ谷村の面積に迫り、昭和五五年には急減した駒ヶ谷村を超えるブドウ栽培地域となり、山田村とともにブドウ・ミカン複合地域であったのが、従来からの駒ヶ谷村に加えてブドウ単一地域へと構造が変化したことを示している。

 山麓南部では、昭和三五年までのミカンの増加は中核の赤阪村と東条村よりも、周辺的な千早村と河内村で二倍を超え、昭和四五年までには面的な拡大に加えて赤阪村で九三ヘクタール、東条村で一〇〇ヘクタールと急増した(図47)。

図47 ブドウとミカンの栽培面積 昭和45年

 昭和五五年にはミカン栽培は全国的な苦境がはっきりしたが、まだ増加していた赤阪村と減少した東条村で対照的な動きを示し、平成二年(一九九〇)にはどの地域もミカン園面積は昭和五五年の半分以下となった。