昭和三五年(一九六〇)と平成七年(一九九五)の農家数の増減指数を示す図50では、若松・富田林地区から五軒家、加太へ連続する地域中心部の東西両側に減少率の大きい地域が出現し、北甲田・南甲田・芝・一心などを別に考えると、その周辺に比較的減少率が大きい集落が集まり、市域南部で減少率が小さいという明らかな傾向が見られる。指数が九〇以上と大きい、つまり減少率が小さい集落が六か所あるが、中山と嬉は中心から外れた位置、北甲田、一心、木戸山は石川本流の段丘上にあって、鉄道の駅にも幹線道路にも近く、前二集落とは性格が異なる。しかし、この図を全体として見ると、石川左岸、羽曳野丘陵に関わる集落で、農家数の減少が大きい傾向は明らかである。それにたいし、石川右岸と佐備川の谷の旧東条村域で指数が大きく、この差は明らかである。言うまでもなく、都市化によって農地が極度に減少した地域、鉄道、幹線道路に近い地域での減少率は大きく、ある程度農業を継続する可能性のある地域、農業以外の土地利用がまだ浸透しない地域で小さいという対照が認められる。