農業が全体的な衰退期に入った昭和四五年(一九七〇)と現在に近い平成七年(一九九五)の経営耕地面積の増減指数の分布図(図51)では、減少率が小さいのは、八〇を維持する喜志地区の多くの集落や西板持をはじめとする富田林市街地南方の石川両岸に分布する集落であり、減少率が大きいのは富田林、中野、五軒家やそれに南接する加太、小金平、廿山(つづやま)など金剛団地をはじめとする大規模住宅地が成立した羽曳野丘陵での農地の潰廃(かいはい)が大きい地域である。なお、開拓集落であった小金平は、昭和四五年より後の「農林業センサス」では農業集落として消滅している。地図上の区分としては、便宜的に廿山と統合した。市域の南部は北部に比べて全体として、農地の減少率が小さい地域となっている。しかし、佐備川流域の中佐備、岸之本、龍泉(りゅうせん)、中山で減少率が大きいのは、昭和四五年ごろ拡大したミカン園が、平成七年段階では、多く放棄、潰廃されているためである。
全体として、富田林市街地から西方の大規模住宅地と化した部分に農地減少の核があり、喜志と川西、滝谷不動など南北の鉄道駅近辺の集落や、氾濫原(はんらんげん)の比率が大きく施設園芸が盛んな西板持や北甲田では必ずしも減少率が大きくないことが注目される。