昭和四五年(一九七〇)の集落別の平均経営耕地面積は中佐備の九二・五アールを最大に、佐備川流域の中山、龍泉、岸之本、蒲(がま)などで大きかった。ミカン栽培の盛んな地域である。もっとも小さいのは錦織の約一五アール、若松町一丁目の二五アールなどで、富田林市街地周辺に最小規模の集落が立地している(図52)。
昭和四五年以降、農家数の減少よりも経営耕地面積の減少が大きかったので、平成七年(一九九五)までの二五年間に平均経営規模は大きく減退し、水田・野菜地域の中心であった中野では四三・九アールから二四・六アール、若松町一丁目では二五アールが一四・六アールとなった。
平均経営規模は、実質的に増大した六集落を含めて平成七年の昭和四五年にたいする指数は三四集落で八〇を超えており、それ以下の大幅な縮小を示したのは一一集落にすぎない(表128)。多くの農業集落で、農家数も経営耕地面積も減少したが、残存した農家の平均経営規模の縮小は意外に小さいものであった。
段丘地域 | 指数 | 丘陵西部地域 | 指数 | 佐備川谷 | 指数 |
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喜志新家 | 76 | 五軒家 | 65 | 龍泉 | 78 |
大深 | 69 | 加太 | 60 | 岸之本 | 70 |
中野 | 56 | 中佐備 | 53 | ||
若松町1丁目 | 58 | 中山 | 48 | ||
東板持 | 72 |
注)『1995年農業センサス農業集落カード』より作成。
佐備川流域の中佐備と中山では、昭和四五年段階では最大の平均経営規模を持っていたが、ミカン園の放棄・廃園により指数五〇前後の大幅な経営規模の縮小を示す。この縮小率は段丘部をしのぐが、その内容が対照的である。
丘陵西部と段丘地域では、住宅地の進出状況は異なっても、ともに都市的土地利用の浸透によって農家の経営規模が縮小したのにたいし、佐備川流域のミカン地帯では、ミカン農業そのものの崩壊が縮小の原因である。
段丘地域では、農地を部分的に売却し、農業経営を縮小しながら、なお完全には廃農しない場合が多いから、農地の潰廃が廃農よりも高い率で進行するのが一般的であり、平均経営規模が縮小する。
平均経営規模の増減には集落差があり、有意の増大を示した集落が北大伴、伏山(ふしやま)、芝、錦織、伏見堂、西板持の六を数える。西板持では農家数が四分の三に減少し、残った農家の経営規模が増大したことが注目される。