後継ぎの不足

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農家の実感としては、農業を続けてゆくのにもっとも重要なのは後継者問題である。たとえ生産物の市場価格が低迷しても、後継者があれば先行きに希望を持てるが、基幹労働力の老齢化の進行とともに、後継者不足という問題が農業の継続にとって致命的になる。前項で述べた兼業化の進展、特に第一種兼業農家の場合の多くは農業後継者が農業以外の職業につくわけで、後継ぎの不足と表裏の関係にある。昭和三五年(一九六〇)に多くの集落で専業農家率が一挙に半減して、後継ぎはわずかになり、基幹労働力の高齢化はすでに明らかであった。

 小金平を除く市内の農業集落は四五を数えるが、昭和四五年に後継ぎ男子農業専従者がいた農家は市内全体でわずかに七三戸、後継ぎ労働力を保有する農家が三戸以上あった農業集落は、表130に挙げた一〇集落にすぎなかった。表以外では、二戸あったのは南甲田のみ、一戸あったのが一一集落、〇が二三集落であった。この段階で、旧富田林町では、西板持と中野以外では、後継ぎはほとんどいなかった。ある程度後継ぎがいた旧東条村でも、ミカン危機以前で、後継ぎがいる農家は多くて三〇%程度であり、全面的なミカン危機以前にすでに、ミカン農家に後継ぎは確保されていなかったのである(図56)。

図56 後継ぎ男子専従者がいる農家 昭和45年

 平成二年(一九九〇)になると、後継ぎを持つ農家は二八集落で〇であった。昭和四五年に一一一戸中八戸であった中野で八八戸にたいし〇となった。西板持のみが九〇戸中の一二戸が後継ぎを持っていた。旧東条村では、龍泉に二戸、上佐備に二戸、中佐備に二戸、下佐備に二戸のみである(表130・図57)。

表130 昭和45年に後継ぎ労働力を保有する農家が3戸以上あった集落

単位:戸

旧富田林町 昭和45年 平成2年 旧東条村 昭和45年 平成2年
大深 3 1 甘南備 4 0
川面 3 0 龍泉 6 2
中野 8 0 上佐備 4 2
東板持 3 1 中佐備 3 2
西板持 22 12 中山 4 0

注1)『1995年農業センサス農業集落カード』より作成。
 2)平成2年は農家総数データ。

図57 後継ぎ男子専従者がいる農家 平成2年

 昭和四五年段階ですでに決定的になっていた基幹労働力の弱体化こそが富田林市域の農業の最大の弱点であった。この問題は、昭和六一年からの農地開発事業など、多額の補助金と融資によって従来の非効率的な農地が合理的に改善された東条地区の受益農家にとっては、融資の返済などで深刻な問題となる。

 ナスという強力な特産が労働力の流出をある程度食い止める西板持の後継ぎ保有農家の率は、昭和四五年で一九%、平成二年で一三%で、農家数は減少しても、後継ぎ保有率は他集落に比べて依然高い。